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2016.11.01

「テニスやめよう、って思ったこともあった」

編集部のこぼれ話

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 ついつい取材で口にしてしまうことがあります。
「躍進のきっかけは何ですか」みたいな質問。聞かれた選手や監督は(当然)困ったような顔をされ、一応の答えをひねり出してくれるのですが、このような一方的な話し方からは、核心に迫った実感はだいたい得られません、残念。今回の東芝姫路取材では、いつものことながら選手の皆さんの回答力で助けていただきました。

国体出場時の若田選手の表情。厳しい時期を支えた「森原センパイ」(右)と

国体出場時の若田選手の表情。厳しい時期を支えてくれた「森原センパイ」(右)と

11月16日に開会式が行われるアジア選手権、地元開催(千葉市)で注目される日本代表に3選手を送り出す女子実業団・東芝姫路が好調です。皇后杯決勝には若田実友子/泉谷朋香が進出、国体では4選手が出場した兵庫が優勝。9月の全日本社会人では深澤昭恵/森原可奈が優勝しています。10月上旬、日本代表3選手を取材するため東芝姫路にお邪魔しました。訪れた姫路のコートの印象は明るい! でした。選手たちはいつでも懸命にボールを打っているのですが、以前のある時期はどこか思い詰めたようなびりっとした空気、いまは選手たちの「プレーしたい!」気持ちがあふれています。

 コート脇で森原、深澤、泉谷各選手のインタビュー取材を終え、練習を見守る金治義昭監督に聞くと、「国体のMVPは若田」とにこにこ。優勝直後にも口にされていた言葉でした。国体は森原とのペアで無敗。決勝ではファイナル1-5から逆転するなど、強風の中で持ち味の思い切ったストロークで押し切り、勝利をもぎ取りました。
 社会人3年目の若田さんは、ルーキーイヤーに負ったケガ以来、4度の手術を経て復活してきました。微妙に部位を変えながら次々と痛みや動きの制限などの症状に襲われ、そのたびに手術とリハビリを繰り返す日々。「テニスやめよう、って思ったこともありました」と若田さんは振り返ります。

 ソフトテニス・マガジン12月号(発売中)で、日本代表選手として意気込みを語る東芝姫路の選手たちは、代表トレーナーに渡されたトレーニングに触れています。仕事、通常練習、チームのトレーニング後に取り組んだ代表トレーニング。その時に選手同士話したことが、国体の原動力になった――という話。実はこのトレーニング、代表選手3人のほかにも加わっていた選手がいます。それが若田さんでした。年長の森原さんいわく「若田が加わってくれたことがチームにとって大きな転機になった」
 若田さんの側はこんな感触でした。先輩方にきっかけをもらい、それを素直に受け入れたことが、チームの力に昇華されていった様子がわかります。

「はじめは、進んで取り組んでいたわけではなかったんです。それでも森原先輩が『これは代表ではスタンダードの内容、強度だから。来年の若田が(選考に)入ったときに役に立つよ』と言ってくださって」。ケガ明けの若田さんにとって、代表メニューはとてもハードルの高いものでした。しかし実は、若田さんの中にもボッと火がついた部分がありました。
「(東芝の)国体のメンバーの中でも私だけが(代表に)入っていない。悔しい思いは正直ありました。自分もできることからやっていく、ついていく、できなくてもマネすることからだけでも、始めないと、と」
 4人の代表トレーニングは続き、そのチームの熱が、いくつかの大きな結果に結びつきました。
「先輩方にはずっとお世話になっていて。『テニスをやめたい』って思ったときもアドバイスをくださった。チームの仕事でマネージャーをすることになったときも、深澤さん、森原さんが『大丈夫? 手伝うよ』と声をかけて下さって。皆さんがいなかったら、私はもうここにいなかったと思うんです」(若田さん)
 国体の舞台へは万感の思いで臨みました。豪打系の若田さんには戦いずらかったはずの風の中、「噴いてもいい」と渾身の力でボールを打ち込みました。優勝の瞬間の思いは「……よかった」。それはチームのため、自分にできることを出しきった末の感懐でした。

 結果から振り返ると、「躍進のきっかけ」なんてほんの些細なこと。それは苦しい時期、まだ花開く前の季節から、チームの中にあった無数の日常のやりとりがあってこその、小さな、できごとでした。

写真/井出秀人 文/成見宏樹

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