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プレー&コラム
2017.07.06

人一倍練習した人が最後に大仕事をやってのける、自分の頑張り次第で何でもできると知った

【WEB連載】船水颯人『JKTへの道』#19 インターハイ①

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7月22日に福島でインターハイが開幕する(競技スタートは23日)。船水颯人は東北高1年時に団体優勝を果たし、ソフトテニス・マガジンの表紙を飾った。船水颯人にとってインターハイとは? インハイ優勝を経験して何を得たのか。

ソフトテニスマガジン・ポータルでは、船水颯人の2018年ジャカルタ(JKT)アジア競技大会に向けた取り組みをインタビュー連載で追っていく。船水颯人『JKTへの道』第19回はインターハイについて。

船水颯人/ふねみず・はやと 1997年1月24日生まれ、20歳。青森県出身。身長170㎝、右利き、後衛。黒石烏城クラブ(小1)→黒石中→東北高→早稲田大3年

2012年、新潟で開催されたインターハイで団体優勝。船水颯人は決勝の高田商業高戦で2番に出場し、ファイナル勝利

兄が優勝する姿を見て、うれしさと悔しさと

――今回はインターハイの話を聞いていきたいと思います。入学して間もない1年生で、いきなりインターハイ団体優勝を果たしています。

僕自身が一番びっくりしましたよ。当時は何も考えていなくて、無我夢中でボールを追いかけていただけですから。どのようなプレーをしていたのかも、はっきりと覚えていません。

――ソフトテニス・マガジンの編集長は臆せずプレーする姿と優勝した後のコメントに感銘を受け、船水選手の写真を表紙に使いました。そのとき、何を話したのか、覚えていますか。

はい。「3年生と組むことに対して、プレッシャーはないのですか?」と聞かれて、「自分が引っ張る気持ちでやっています」と答えました。

――「僕が3年生を勝たせてあげたい」とも言っていたそうで。

その言葉は、はっきりとした記憶はないですね(笑)。ただ、そういう気持ちで戦っていました。あと、別な思いもあって。

――どんな思いだったのですか。

あの前年、僕の兄(雄太)が青森開催のインターハイで優勝しているんですよ。僕はまだ中学3年生。地元で、兄の喜ぶ姿を見て、素直にうれしかったですし、すごいなと思いました。兄から一選手として、ひとりの目標とする選手に変わった瞬間でもあった。その反面、どこか悔しい思いもあって。

そのとき、僕も東北高校で全国の頂点に立ちたいという思いが湧いてきました。とはいえ、1年生からインターハイで優勝できるとは思っていなかったですが。

――予想外の結果だったのですか。

驚きましたが、自信がなかったわけではありません。宮城県予選では負けていなかったですし、調子も良かったんです。むしろ、「これはいける」と思っていたくらいで。

個人戦(16強)は正直、油断があり、スキもありました。だから、負けたのでしょうね(笑)。いま思えば、もったいないことをしました。高校の3年間を振り返っても、1年生のときが最も優勝する可能性が高かったと思います。結局、高校時代の個人戦はベスト8(高2)が最高なので。

1年時のインハイ(左から2人目)。黒縁のメガネをかけているのがペアで当時3年生の伊藤健人

キャリア初の日本一で目にした忘れられない光景

――1年生のときのインターハイは個人戦で油断して負けたと話していましたが、その後の団体戦では優勝しています。気が引き締まったのですか。

個人戦はミスで崩れました。団体戦でもミスが出たのですが、ペアを組んだ3年生の先輩(伊藤健人)に助けてもらいました。高校3年生で初めてインターハイに出場した先輩だったのですが、本番では頼もしかったです。だからこそ、この先輩のためにも勝ちたいと強く思ったのでしょうね。

――インターハイは特別な舞台でしたか。

インターハイにすべてを懸けているという感じではなかったです。言い訳みたいになりますが(笑)、むしろ、当時からいずれは世界で勝ちたいという気持ちのほうが強くて。負けても、すぐに気持ちを切り替えていましたし、先を見据えてテニスをしていました。

もし僕がインターハイの個人戦で優勝していれば、そこで満足してしまったかも……。とはいっても、当時は優勝するだけの実力がなかったのも事実だと思います。3年生のときの結果や実力が、僕自身の高校3年間での取り組みのすべてです。どこかに過信や油断、現状に甘えていた自分がいたのだと痛感しています。あのとき、悔しい思いや失敗をしたから、今があると思っています。

インターハイで思い出すのは、1年生のときの団体戦。高田商業との決勝で「3番勝負」を決めた3年生の原田(龍平)さんの活躍ぶりは印象深いです。団体戦ではほとんど出場機会がなかった原田さんが、インターハイの大舞台で結果を残す姿を見て、感銘を受けました。ある意味、僕のソフトテニス人生のひとつの分岐点にもなったと思っています。

原田さんは入学当時、最下位番手だったと聞いています。しかし、人一倍練習し、努力をずっと続けていた。そして、インターハイの準決勝から急に出番をもらい、大仕事をやってのけたわけです。あれを見たとき、最後に勝つのはこういう人なんだと思いました。

――日々の努力が報われることを目の当たりにしたのですね。

僕にとって、インターハイの団体戦優勝はキャリア初の日本一でした。そこで目にした光景は、今でも忘れませんよ。自分の頑張り次第で、何でもできるんだという現実を見ることができたから――。

強い気持ちを持って、努力を続ける大切さを学ぶことができたと思っています。

後列左が原田。船水颯人は前列左から2人目

初めて表紙になった2012年10月号を持って。新潟の強い日差しで顔をヤケドし、現在も鼻にその跡が残っているという

※次回は7月13日に公開予定

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取材・構成◎杉園昌之 タイトル写真◎阿部卓功 写真◎井出秀人、川口洋邦(インターハイ)


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