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2025.06.20

【HINTS for soft-tennis】勝利への道 vol.1(前編)@堀晃大(NTT西日本前監督)モノの本質を見極める

勝利への道 vol.1@堀晃大◎ソフトテニス・マガジン7月号P72~77

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 いつも胴上げされているイメージだが、順風満帆ではなかった。というよりも、試行錯誤した時間の方が多かったのだ。気になることはすぐに解決への道を探り、他競技・異業種・書籍からもヒントを導いてきた。その歩み、一つひとつが必要なピースであり、それがあったから、選手が向上していけた。ベクトルは常に選手であり、そこに見返りはない。だから、若い選手たちと一緒にもがくのを選んだ。

目指すは全員日本代表の、
子供たちが憧れるチーム

 監督生活10年間、濃かったこともあり、あっという間でした。選手10年、監督10年でした。こんなに強いチームになるとは思ってもいなかった。8年前、会社のシンボルチームになる前でしたが、当時の支店長に「見ておいてください。世界一のチームになります。全員日本代表の選手にする」と誓い、スタートしました。それを思い出して、じわっと感動しました。当時はナショナルチームに入っている選手は3分の1ぐらいだったので、私自身も半分夢物語で言っていました。まさか、7、8年で本当にそういうチームに近づくとは。

 もう一つは子供たちが憧れるチームにしたかったのです。NTTの選手のようになりたいとか、将来はNTTでプレーするんだと思われるようなチームにしたかったのです。本当にファンの人や子供たちが憧れるチームに会社や選手が押し上げてくれた。いい状態で、村上に引き継げたかなと。

 選手時代、自分がNTTでやらせてもらう中で、勝ちきれない部分があったんです。良い成績を収めることもありましたが、トップへ抜け出せないのがずっとあって。それを振り返った時に、プレーしている時は分からなかったのですが、そういう時は何か弱気な自分がいて、遠慮しているとか、ちょっといい成績を残すと「俺頑張っているよな」と自己肯定に走ってしまう、突き破れない自分がいました。

ペアを頻繁に変えた理由
みんながどこでも行ける

 選手時代は団体戦のオーダーを早めに言ってほしいとか、ペアを固定してほしいと思っていました。監督になってから信頼できる選手とは何かと思ったら、僕は何番でもいいですよとか、ダブルスでもシングルスでもどちらでもいけますよとか、相手は誰でもいいですよと言う選手が自分なら信頼できる。自分はそうできなかった。弱かったし、甘えていたなと思いました。

 だから、監督になった時に、どこに出ても勝ってきますという選手になってほしかった。もし代表監督の立場なら使い勝手の良いのは、何番でも「任せてください」と言える選手だよなと。

 最初監督になった時は、一人ひとりに聞いていたんですよ。キャプテンから監督になったので、オーダーどうする、お前は何番に行きたいと。1年間やってみたら、皆なるべくプレッシャーのかからない場面で行きたがるというのが分かりました。自分が逃げた時と似ているな、これはいかんな。そのメンタルブロックを打破しないといけない。自分は何番でも行けます。シングルスでもダブルスでもと言う、たくましい選手になってほしい。自分の経験則による指導は、今思えば良くないのですが、当時は「自分が代表になれなかった分、皆にはなってほしい」という一心で、メンタルブロックを外し、突き抜けなければ、1.5流まではいけても超1流にはなれない。たまには勝てるが常に勝ち続ける選手にはならないなと思ったんです。

 そうやって監督なりたての頃は意見を聞いて、反映し、責任感を持たそうとしたのですが裏目に出ることが多々ありました。1番ならよっしゃとか、1番って言ったのに、なんで3番なんですかとか選手に気を遣いすぎてはダメだと思いました。配慮はするが、遠慮してはいけない!と。

 もうひとつが、そもそも不動のオーダーというのが美化されていた。それが嫌いだったんです。野球なら納得できる面もありますし、剣道、柔道ならそういう順番に出ていくので理解できる。古くからある競技の名残りから不動のオーダーというのがあり、エースを3番に持っていくのはご法度だと言われてきました。それがおかしいなと思っていて、自分が相手監督として、もしNTTと対戦してどうやったら勝てるかと考えた時、オーダーが不動ならば勝つ確率は少し上がるなと感じたんです。分の悪いペアを当てずオーダーを組めばいい。不動のオーダーとは聞こえはいいけど、相手の勝つ確率を少し上げてしまう行為だな。勝つ集団なので、「これで負けたらしょうがない。は許されない」。負ける確率を少なくして、勝つ確率を上げたい。相手をかく乱する、読ませないためにも、順番をいろいろ変えようと思いました。誰が1番にいっても、3番にいってもいいチームを作ろうと考えました。

 試合前には必ず相手のアップや練習を見ていました。気合の入り方で、この選手は1番だなとかが分かり、読めた。ヨネックス戦は駆け引きがありましたが、他のチームは大体オーダーが読めた。だから、「そうきたか!」というのがあまりないんです。

 前日にあらかじめ、お前は1番だと言っていると、朝一の練習を見ていたら、それが出るんです。打ちたいコースに一番に入るし、一番入念にウォーミングアップしている。我々はそうしないように選手に説明しました。出ない選手も必ず準備をしようと。

 例えば日本リーグなら、練習コートが見られるんで、1番、2番、3番と伝えた時に、普通なら4番は練習しないんですが、自分たちはそれをやめようと。その試合は出ないかもしれないが、その次は1番ででるかもしれないので身体を温めておこう。変わったことをやったイメージはなくて、負ける確率を上げないようにしていった感じでしょうね。

 だから、最初は奇抜に思われて、動きすぎとか、メンバーがいるから遊んでいるとか言われました。エースを3番に持っていったら、なめているとか。でも、自分は一番勝つ確率が高いからと、調子や対戦相手を見て、そうしただけで、一度もなめてオーダーを組んだことはない。結構言われましたよ。一度、日本リーグで21通りのオーダーを出した時もそうです(笑)。その時は選手ハラハラしながらやったと思います。皆には日本代表エースになり、金メダルめざすと思っているんだったら、「どこでも行ける」ようにしよう。代表監督が何番に行け!と言い、嫌ですとは言わないだろう、と。

 個人戦でペアを変えるのは、そこは選手とも話をして、最終的にはこれでいこうと納得してもらうのですが、最初の3年間はこいつと組みたい、こいつと組む話ができていますとか根回しする選手もいました。なるべく自分自身が落ち着く選手と組みたい。安全策、逃げというか、そういうのもある。

 監督の後半は選手の自律が高まりました。心技体が真に充実し、俺は負けないという自立・自信があれば、誰でもいいですよと言える。やっとチームが成熟してきたなという手ごたえが出てきました。これからも、まだまだ伸びていくチームだと思います。もうひと伸び、ふた伸びすると思います。交代のタイミングはちょうど良かった。真面目で勉強家の村上や丸中が更に高めてくれると確信がある。ピークはこれから2年後3年後に来ると思います。

続く

 

私にとっての堀さん
❶内田理久
試合前の心を改善できた一言

「元々はあまり自信を持っているタイプではないのですが、入社2、3年目の頃でしょうか。試合前は不安で、ネガティブな感情が出てくるものでした。試合の直前の時間が苦手で、不安なところばかりを練習して試合に臨む傾向がありました。堀さんは、『一流選手は試合までの長い期間で苦手なところを練習していき、試合が近くなったら、自分の得意な部分をやって、自信をつけて臨む。モチベーションをつけて、試合にいくんだ』と言われていたのを聞いて、なるほどな、と。それから、練習のやり方を変えて、試合に対するピーキングがうまくなりました。あの何気ない一言で救われた。今はいい気持ちで試合に臨めています」

PROFILE

ほり・こうだい/1983年8月29日生まれ。長崎県出身。後衛。精道中でソフトテニスを始める。島原商業高→日本大→NTT西日本。08年ナショナルチーム。2015年1月にNTT西日本監督に就任。2025年3月の退任まで、日本リーグ12連覇、STリーグ2連覇を達成。2025年度から男子日本代表コーチに就任。

文◎福田達 写真◎西田泰輔