※前回からの続き
自分で『気付く』『打開する』力
私の恩師、手島昇先生(島原商業高)が常々仰っていた、『遠回りが近道だぞ』という言葉が思い出され身に沁みました。「答えを急ぐな、近道を選んじゃいかん。もがき苦しむ険しい道の先にこそ新たな発見がある」この時期の私は、近道ばかり探していた、示していたように思います。
長江や上松、本倉の恩師、大橋元司先生(岡山理大附)にも似たようなことを言われた経験があります。「指導をしていたら10言いたくなるんだけど、6とか7で止めておく。あとの3,4は自分自身で気付くまで待つ。高校3年間で気付く選手もいれば、卒業して気付く選手もいる。3年間で勝たせようと思ったら、10教えればいいんだけど、それでは本当に身につかない。感性を磨き、自分で気付けたら、本当に強くなる」
ある年、インターハイを見に行った時、優勝候補の東北高校が準決勝で敗退し、当時U-20のスタッフとしてお世話になっていたこともあり、厚かましく敗退直後に中津川先生(東北)に「敗因は何でしたか?」と聞いたことがありました。
そしたら、「G2-2のデュースで(東北の)選手が俺を見たんだよ」って。「え? どういうことですか? 苦しい場面でベンチを見るのは冷静で良いことではないですか?」と聞き返したところ、「本当に強い選手、勝つ選手は、苦しい場面で人は頼らない。自分で判断・決断する。だから、この試合は競るけど負けると思った」と。
自分の力で『気付く』『打開する』力を日々養えていないのに、本番で結果が出るはずもありません。その頃のNTTは監督の指示や方法を待つ、「与えられたものを消化する」練習になっていたのです。「監督イズム」であったり「監督のカラーが浸透する」というのは一見良いように感じるし、それを是とする風潮が日本スポーツにもいまだありますが、その方法では、ある平均までの力は培われるのですが飛び抜けていかない。
サッカー岡田武史監督の言葉を借りるならば、「これしかない!」「オー!」というのは“ブラックパワー”。一瞬の瞬間風速は吹かせられるが長続きしない。たまには勝てるが、勝ち続けられるチームにはならない。なぜなら主体が選手でなく、監督だからです。
話が逸れましたが、そのOBからのさりげない一言をキッカケに、接し方や練習メニューも変化、主体変容せねばと心に誓ったのです。
成長する選手は取捨選択できる
日々の練習で課題練習・ペア練習としてフリーの時間を多く設けることで、自己課題設定・自己課題解決力を養い、本番においても判断・決断が自身やペアでできるようにと、事細かい練習は一旦封印し、自分で考え抜けるように、アプローチを変化させていきました。もちろんチーム全体課題の練習も行いつつ、フリーの時間を増やしていきました。
自己課題設定→解決をうまくできる選手の特徴は『仮説』が立てられることです。要は、課題に対して、「こうやってみたらどうなるだろう?」「昨日はこうしたけど今日はこうしてみよう」いわば好奇心とも言えるかもしれません。面白いことに、そうやって考えられる選手の多くは、小中高と「監督の言うことをあまり聞いていない」選手が多い、ということです(笑)。そういうと語弊がありますね。成長する選手は必ず素直ですから、「助言を取捨選択することができる」ということです。監督に従順すぎた選手ほど、「昔これをやってうまくなったから、良くなるはずだ」と思い込み、課題設定は立てられるが、仮説が抜けているため、解決方法のバリエーションが少ない。要は練習メニューの創意工夫が少ないということが出てきました。日々の考え方やバリエーションが豊富であれば、本番の対応力も柔軟になり変化に強くなります。バリエーションが少なければ、型にハマった時は強いのですが、ひとたび流れが変わったときに対応力に欠ける。
仮説、創意工夫に長けているのは最年長の長江選手です。とにかくアンテナが高く、さまざまなことを取り入れつつも自分の芯はぶらさない。フリー練習でもバリエーションが豊富で、かといって広く浅くではなく、できるまでコツコツと黙々とやっていました。
一方半数の選手は、日に日にバリエーションが底をついてきて、同じ練習や、上述した通り昔うまくいった練習を繰り返すようになっていきました。(前号で)先述した、落ち着く練習・気休めの練習になりつつありました。「今まであれだけ監督がいろいろ提供してくれていたのに」という表情をする選手もいました。それに対して長江や村上たちベテランからも反発とまではいきませんが、意見が出てきました。
「もっと、若い連中にこうやったほうがいいと示したほうが良いですよ!」
「堀さん、何でもっと言わないのですか!」
ベテラン勢とは随分議論を重ねました。
「言ったらやると思うし、勝てるかもしれない、でもそれはただの一過性に過ぎない」と私は方針を崩しませんでした。
ちょうど、船水/上松が君臨してきた時期で、ライバルも打倒NTTに燃え、個人戦では大学生などにもおされて、なかなか勝ち上がることが出来ず、村上や長江もフラストレーションが溜まっていました。彼らの苦々しい顔、話し合った日々が昨日のことのように思い出されます。
ですが、自分で考えて、課題設定して、自分で解決方法を探ること。今、分からなくても、すぐにできなくても、やらなくてもいい。自分で気付いてやり出さない限り、最後は勝てない。気付くまで、マインドが『自分の力で変わる』まで、時間は要するかもしれないが、絶対良くなる、強くなると信じてやっていました。勝ち続けているように思われがちですが、日本リーグは勝っていても実業団を落としたり、個人タイトルも獲れず、監督期中盤はチームが一番しんどい時間でした。
監督は「気付かせ屋」である
振り返ると2018年頃、もっと勝ちたい、勝たせたい!と思って突き進んできましたが、それはチームの進化のためにはなっていなかった。考えない選手、待つ選手にしてしまうのは、監督の私に問題があったのです。機会を提供されるのに慣れてしまった選手は、コートに落ちているチャンス(機会)に気付かない。監督の機械のような選手ではなく、自ら機会を摑み取る選手にならなければいけないのです。この時期に考え、悩み、もがき苦しんだことは私にとってもチームにとっても、その後に生きてくるのですが、最終的に選手が気付くように、ヒントを散りばめたり、遠回しに伝えるようになりました。そこで、気づけなかったとしても、また別の方法でアプローチして、気付かせるために時間を作り、色々なことをミーティングしたりして感性を高めるように仕向けていきました。長江、村上といった成熟期の選手は信頼して放任していたので、長江なんかは「もっと気付いたことは言ってくださいよ~」と言われたこともあり、いろいろとあの時進言できず悪かったなぁと今さらながら反省しています。
一方で若い選手には一人ひとりと問答しながらヒントを置いていく時間の方が多かった。パッと表情が晴れやかになる時もあれば、何だか腑に落ちてないな~と感じる時もあり、待つ時間、我慢する時間が長かった。フラストレーションが溜まったこともありましたが、ちょうど時代的には他競技の監督、コーチで活躍された方たち、栗山監督、吉井理人さん、為末大さん、岩出雅之さんら、いろいろな方々やさまざまな分野の本を読みあさり、やり方の方向性に間違っていないなと自分に言い聞かせ、「選手を信じて我慢、我慢。絶対このチームは良くなる」と自らを奮い立たせて過ごしていました。
サンフレッチェ広島時代に知人を通じて、同じ長崎で同郷という共通点もあり、森保一監督とお話しさせて頂けたことも大きかったです。信じられないくらい謙虚・丁寧な方で、チームマネジメントや立ち振る舞いも参考にさせて頂きました。なるべく沢山の方の話を聞こうと思って、セミナーや講演にも足を運びました。幸い広島という土地柄はスポーツが盛んで、いろいろなスポーツチームと交流ができ、結果を出す人に、俺が監督だ!デンッと座っている人はいなかった。謙虚さを学び、それも監督人生でプラスとなりました。
そして早稲田大学から内本隆文、翌年には内田理久、明治大から本倉健太郎が加入し、さぁこれから新生NTT西日本。新たな歴史を創ろう!と意気込んでいた矢先に新型コロナが猛威を振るいました。
※次号に続く
PROFILE
ほり・こうだい/1983年8月29日生まれ。長崎県出身。後衛。精道三川台中でソフトテニスを始める。島原商業高→日本大→NTT西日本。08年ナショナルチーム。2015年1月にNTT西日本監督に就任。2025年3月の退任まで、日本リーグ12連覇、STリーグ2連覇を達成。2025年度から男子日本代表コーチに就任。