※前回からの続き
新生JAPANで絶対になってはならないのは、誰かが必ず勝ってきてくれると計算しないことです。当然勝利を信じ、勝つ確率の高いオーダーを組むのですが、よく陥るのは選手がいろいろと打算的な感情が出てくると、なおかつそれで勝ったりなどすることで、それでは勝ち続けるチームカルチャーの形成にはなりません。一番の究極は「最高の調子の相手に、最低の調子でも勝つ」という横綱テニスです。それを実現できる可能性に満ちた選手たちであふれています。
もちろん全選手に期待しているのですが、注目しているのは上岡選手と広岡選手です。よく会社でも、学校でも「中間の人間に活気があるか」でチームの強さが測れたりします。
会社で言えば中間管理職が元気かどうか、部活で言えば、高校2年生、大学3年生がしっかりしているチームはたくましいチーム。もっと言えば3番手、4番手がギラギラしているチームは非常に強い。現ナショナルチームで言えば、上岡、広岡が中間管理職にあたるでしょう。
年長たちがチームを引っ張り、ナショナル歴の浅い年下たちが元気満々。中間の上岡、広岡は慣れが出てきたり、居心地に安住しやすい時期です。そんな彼らが、上述したような、「自分がエースとして日本に金メダルをもたらす」という気概でコート内外立ち振る舞い、活気づけてくれれば日本はとんでもない強さになります。
成績は言わずもがな、上岡選手は日本代表予選2連覇、広岡選手は天皇杯優勝等々、日本のエースと呼ばれてもおかしくない実力の持ち主ですし、年々堂々とした選手に成長しています。上岡選手の2年続けてタフな代表予選を1位というのは立派すぎますし、ぜひとも誰より先陣切って金メダルを狙ってほしいです。本人もプロとして活動し、またいろんな世代への指導も行っているので、一瞬称賛されるだけの選手ではなく、一生称賛される人物になってほしいと思っています。
広岡選手は私が監督時代に縁があってNTTに入社してくれました。職場も初めは同じ担当だったこともあり、コート内外の成長を毎日感じていました。私と同じですぐ泣くし、甘いところがある。口数も少なく、恥ずかしがり屋。大の負けず嫌いで、コートの中だけは非常に感情が激しくなる選手でした。
練習のみならず、テニスレッスンや、業務での人間関係構築の中で、自分の考えに厚みが出て、表現していく力が年々ついてきました。一流になっていく選手は言語化に長けている。
今でこそ華々しい活躍の(広岡)宙ですが、実は1年目から3年目は目立った成績を残せていません。2年目(私も教えすぎていた)頃までは、「ボレーの取り方こうやってみたら?」と話しても、「いや、小牧先生(上宮高恩師)はこう言っていました」と、教わって結果が出ていた時期のことがすべてで、思考がそこから止まっていると危惧していました。私も小牧先生は尊敬する指導者の一人ですから、もちろん宙の思いを否定することはありませんでしたが、練習の中でそんなやり取りが何回かあったある時、「宙、先生を尊敬しているのは分かるよ。でもそれに囚われていたら高校時代の自分を超えていけないぞ。これまで教わったことに、さらに肉付けして、自分流を磨いていく作業が楽しいんだ」という話をしました。
3年目の中盤あたりから、自分の言葉で技術を語れる選手になってきました。日本古来の武道・芸道における『守破離』という考え方がスポーツにも言えて、『守』は師匠の、型・技・慣習・セオリーを忠実に守る。『破』はこれまでの常識を打ち破り、新たな事柄へのチャレンジ。『離』はそれが新たな常識となり、これまでよりもかけ離れた境地へ行くことができる。一流になるには『破』→『離』を目指してほしいと思っています。
『破』で注意しなくてはならないのは、調子や技術、心技体が一時的に狂うおそれがあることです。しかしながら、新たな境地、コツをつかむと爆発的に伸びることがあります。『離』は一段も二段も上に行き、雲の上の存在になります。しかし残念なことに、多くの選手は『守』で止まってしまいます。それだと、心が整い、安心はできるのですが、爆発的な伸びは望めません。
似たようなことを再三述べますが、尊敬は良いですが、心理的依存(尊敬の度が過ぎる)になってはいけません。尊敬が過ぎると、恩師を越えられないし、恩師の思考の枠の中だけで止まってしまいます。心理的依存を断ち切れない人はどうしても世界が狭くなります。あるひとつの価値を信じ、他の価値を排除してしまいがち。自分の信じる価値と、それ以外の価値が共存していかれず、柔軟性に欠ける、対応力に欠ける選手になってしまいます。
監督支配型のチームは、たまに勝つものですから、選手も「やっぱり監督はすごい」「監督を信じてきて良かった」という思考に嵌っていきます。ぜひ読んでくださっている指導者の皆さんは、対応力や発想力に富んだスケールの大きい選手、チームを目指してほしいなと思います。読んでドキッとした選手の皆さん、恩師の言われたことを忠実に遂行するテニスで勝つより、恩師のヒントに自分の創意工夫をプラスして作り上げたテニスで勝つほうが楽しいじゃありませんか。脳科学の先生と話をした際、「人間の脳は十代で完成するから、十代のうちに思考力・発想力を育んだほうが良い」ということを聞きました。指導者の皆さん、ぜひそれを肝に銘じて、「自分の考えを超越していく」選手・チームを目指しましょう。
NTTのテニスの強さの秘訣は「型にはまらない」ところかも知れません。丸中/長江というダブルフォワードのペアが席巻していた頃、「NTTはダブルフォワードだけじゃないか」と揶揄されたことがありました。「悔しいよな~! 雁行陣もシングルスも最強を目指そうや!」とミーティングで話したこともあります。今の選手たちはそれを存分に体現してくれていますが、もっともっと進歩・進化できるよ!と話しています。
私自身も、自分のテニス論が確立しないように、正解と思わないように、「俺の言うことが絶対に正しい」という指導者にならないように、さまざまな方々の話やテニス論、体験談をなるべくたくさん学び、知見を広めるようにしました。
宙の話で出た小牧先生(上宮)、紙森先生(高田商)、塩田先生(尽誠)の考え方や指導は「そんな角度からテニスを見ているのか」と驚くことばかりで大変勉強になります。私も名門チームを引き継ぎましたが、名将からバトンタッチした同世代の指導者たち、森先生(尽誠)、越智先生(高田商)、玉川先生(三重)ともよく話をします。名門チームを引き継ぐことは大変なことです。
選手時代や監督前半、バチバチのライバル関係だった京都市役所、YONEXとの対戦は特にしびれました。玉岡監督(京都)、中村監督(YONEX)との駆け引きは燃えました。
監督初期の頃、実業団で宇部興産に負けたこと、国体で北海道に負けたことが、監督としての教訓、戒めとなりました。為久さん・川村さん(宇部興産)、川島さん・佐藤総監督・中村さん(北海道)には勝負の厳しさを教わりました。ご自身も代表選手・スタッフとして活躍された大橋先生(岡山理大附)、世界のテニスを常に意識されている中津川先生(東北)、高橋先生(清明学園中)には感受性・柔軟性を学びました。ナショナルチームの強化では同学年の篠原監督・松口監督・菅野コーチの存在は学生時代から頑張る原動力となっています。特に男女の指導でともに結果を出している篠原監督、中津川先生は、「男女の指導は別物だ」というこれまでの概念を覆していて、お二人に聞くと、男女で指導方法はそこまで変えていないとのことで、痛快です。
女子の名監督との会話や指導方法も非常に参考になりました。ナガセの田中監督や斎藤コーチには、前衛の技術や駆け引き、心構えを選手たちも学び、大野前監督から聞く話は時間が過ぎるのがあっという間でした。御三方とも代表監督を経験されていて、それも勉強になりました。金治さん(東芝前監督)の昔話も本当に面白くて、いつも気に掛けてもらい檄をいただいています。地元広島では武田先生(東女体前監督)や渡部政治先生や剛先生(広島翔洋)からは勝ち続ける秘訣、ヒントをもらいました。
監督終盤は、達人と呼ばれた方々から学ぼうと、高知の横江先生、愛知の稲垣さん、兵庫の時安さん、亡くなられた福山の坂本さん。日本最強と言われた時代の方々のマインドや技術を教えてもらいに足を運びました。長い歴史を紐解くと面白く、この時代の日本チームは、どのペアが出ていっても金メダルを獲るだけの実力者が揃っていました。「絶対に自分が金メダルを獲るんだ!」という気持ちで取り組んでいたと。だけど、とてつもない努力をする選手がゴロゴロいたから、ライバルだったんだけれどもリスペクトしていたという話も聞き、何だか今のナショナルチームが目指しているチーム像にこの頃は近かった。やはりエースに頼ったり、他力本願な時代は勝てていない。ナショナルチームでは10年は勝ち続けるというのも一つの目標にしているので、先人たちのマインドは大きな指針となりました。
母校日本大学の大先輩たちからも刺激を頂きました。杉本現監督、上松さん、藤原さん、岡本さん、そして今は亡き金森監督。金森監督の、ライバルチームの選手も分け隔てなく愛する姿勢は、私も理想としたいところです。まだまだ足元にも及びませんが。そしてNTTの先輩方、藤川さん、中堀さん、高川さん、岩永さん、森本さん、川上さん、たくさん鍛えていただき感謝しています。先輩方の功績が、今のNTTを作ったのは間違いありません。
また、私の選手・監督としてのベースとなった、中学の恩師、高校の手島先生、大学の加藤監督、国体での中島さん、NTTでは曽川監督。まったく手法の異なる指導者に巡り合えたからこそ、私もひとつの考え方に固執することなくできたのかもしれません。しかし、恩師たちに共通しているのは、「さまざまなことから学べ」「テニス馬鹿じゃいかん」「最後は自分がやりたいようにやれ」でした。選手・監督として長くできたのは、人との出会い、言葉との出会い、困難との出会いのおかげです。まさに「我以外皆師」という言葉が当てはまり、いくら感謝しても足りないぐらいです。
そして現在、ナショナルチームの高井強化委員長、篠原監督の熱量には感服します。アンダー20や17に携わっていた時も思っていましたが、ナショナルに入ってみると、なおさら強く思いました。それは、しっかりとした強化指針とビジョン。それがここ数年はアンダーカテゴリーにも浸透し、まだまだ組織としての改良点はあるものの、特に近年の男子代表が強くなったのは、この二人の信念の賜物です。二人のお陰で、私もアンダー時代に、各カテゴリーのスタッフ陣で集まり深夜まで強化や未来について時間を忘れるぐらい議論しました。
ナショナルチームの選手たちを食い入るように見るキラキラしたアンダーの選手たちを見るたびに、清々しい気持ちになりました。誰が出て行っても金メダルが獲れる、昔の強かった日本が戻ってくると思います。
なかなかオリンピックや新しいプロリーグへの道のりは険しいですが、プロ選手もいますし、既存のコリアカップ・チャイナカップ・台湾オープン・タイオープンを充実・発展させ、ジャパンオープンを新設し、盛んなアジアで、まずはアジアシリーズを年間通してできないか。そうすると、もっともっと子どもたちが続ける、夢見る競技になっていくと思います。
夢ときめく選手たちへ。講習会などで伝える言葉なのですが、「試合」の語源は「為合う」です。自分たちさえ勝てばよい、というのは大きな間違いで、人の為と自分の為を合わせる。
そんな為合いが、みんなの“幸せ”へとなっていきます。自分たちの都合が良いようにする、他者を批判するということは、為合わせ(幸せ)ではありませんし、スポーツを通じた人間力の向上という本質からずれています。また、「仕事」というのは→「私事」→「志事」へと変化していきます。下積みや事に仕える「仕事」を怠り、自分のペースでできる「私事」、志の合う仲間だけで出来る「志事」を初めから求めてはいけません。日本には「石の上にも三年」という良い言葉があります。チームや職場でも、ぜひ下積みや、面倒なことを地道に続けていれば、光差し込む日が来ると思います。参考になったかは分かりませんが、幸せなチームを目指してください。
最後に、引き継ぐことになったNTT村上新監督。あり方を継承するのは大事ですが、やり方を継承してはいけません。革新していかなくてはいけません。「応援されるチーム」ではなく、「つい応援したくなるチーム」、キラキラギラギラした選手・チームを形成してほしいと思います。私にはできませんでしたが、村上監督ならできると確信しています。
それから女子部の創設は悲願でもあります。これまでの常識を覆すNEWスタイルのNTT女子部が生まれることは、スポーツ界の未来を切り拓きます。今の時世、協力体制であればできる可能性があると信じています。
進化し続けるソフトテニスを展開するNTT西日本の選手たち、ナショナルチームやアンダー、野望に燃えたプレーヤーたちを、ぜひファンの皆さん、応援してあげてください。可能であれば、現地で観戦してみてください。
ファンを虜にするプレーや選手が数多く生まれるように、勉強しともに成長していきます。自身の言葉にも気を配れるのが勝てる指導者の条件です。私もまだまだ未熟、「未徹在」と、自分に言い聞かせ、驕らず心を磨き、勝利への道をまだまだ模索することにします。
PROFILE
ほり・こうだい/1983年8月29日生まれ。長崎県出身。後衛。精道三川台中でソフトテニスを始める。島原商業高→日本大→NTT西日本。08年ナショナルチーム。2015年1月にNTT西日本監督に就任。2025年3月の退任まで、日本リーグ12連覇、STリーグ2連覇を達成。2025年度から男子日本代表コーチに就任。