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【国スポ2025】成年男子4位、滋賀県の10年間。成績以上に大切なものを手にしたことを実感

応援の力を実感した

 成年男子はNTT西日本の広島県が優勝した。その広島県に準決勝で敗れた滋賀県は3、4位決定戦で福井県庁中心の福井県に敗れて4位で終えた。大学生3人、社会人2人の若いチームだったが、その取り組みは10年前にさかのぼる。

「10年計画で強化してきたのですが、当時小学生だった子たちが、しっかり育ってくれて、国体に出るんだという自覚を持って集まってくれました。10年前に声をかけた子たちがほとんどです」と滋賀県の寺島敬博監督。

 今回シングルスで出場した村井晋之介(立命館大)は小学校3年でソフトテニスを始めたが、すぐにジュニアを強化するプロジェクトがあるのが分かり、みんなで頑張って、将来の地元国体で頑張ろうという意識づけがあったと記憶する。

「定期的な練習会で、当初はみんなで滋賀県のために頑張ろうというものでした。自分も少しずつ滋賀のために頑張りたいなと思うようになっていきました」(村井)

 滋賀県の選手たちは中学校卒業後、京都、大阪、愛知、三重、岐阜などの近府県に進学するケースもあるのだが、立命館守山に進学した村井の周囲には滋賀県に残ろうという選手が多かったという。

 国体が近くなるにつれて、候補選手は絞られて、最後のメンバー入りまでの競争は熾烈だった。村井は高校時代に手応えを感じ始めたシングルスで勝負すると決めていた。
「やはりメンバーに入るのは簡単ではなく、何とかアピールしないと思っていました。最後はギリギリ入れたと思います」(村井)

 本番の会場でもある長浜城テニスガーデンで練習できるという利点はあったが、それぞれの自宅、大学、会社から最低1時間はかかった。それでもサーフェスに慣れることは必要で、繰り返してこの場所での練習を行った。
「チーム作りで苦労したのは社会人、学生がいて、拠点がないことでした。大半の時間は、選手たちが自覚持って練習することに委ねられる。定期的に集まった時にチームとして動けるかどうかが重要でした。2年前はうまくいかず、ばらばらになった時もありましたが、練習する時間が増えていくと、おのずと自覚が出てきました。大会前に集まった練習でも、主体性を持って練習してくれていた。監督がいなくてもできるチームになっていたのです」(寺島監督)

 初戦の千葉県戦は、シングルスの村井が実績のある昼間悠佑をファイナルで下して勝ち上がる。準々決勝の北海道にも村井が勝利して三番勝負に持ち込むと、社会人の加藤裕喜/齋藤大樹が勝って準決勝に進出。準決勝は広島県に敗れて、3、4位決定戦は福井県と対戦したが、ダブルフォワードの2本にうまく戦われて、4位で終えた。

「福井県とは1週間前に練習試合をしていて、まさか本番で最後に当たるとは思わなかったです。でも、長く目標にしてきて、努力が報われた気持ちもあります。国スポは終わりましたが、今後シングルスでインカレを勝ちたいなど新たな目標もできたのも、地元のおかげです。同時に、いろんな人に支えられてここまで来たので、少しは恩返しができて良かったです」と村井。シングルスは3勝1敗で終えている。

 また、竜王中時代の教え子が出場しているため、大会に訪れた田中靖男さんはこう話してくれた。
「代表としてのプレッシャーがかかる中でよく頑張ったと思います。応援の方の必死の思いが会場いっぱいに響いていました。まさに、熱き感動のドラマでした。役員の人たちもお疲れ様でした。皆さんの思いで、みんな一生に1回のドラマに心いっぱい取り組むことができました。私は教え子たちの成長を見たくて応援に行ったのですが、小学校からの人生がどうであったか見えました。これからも、素晴らしい人生の歴史を創ってほしいと願うばかりです」

 10年前は子供たちにとって遠い未来だったが、決して忘れなかった選手たちが貴重な経験を手にできた。しかも、これからの大きな目標を手にした選手もいる。長く支えたスタッフの勝利でもある。

1番を担った大学生の山内風我/玉置毅斗は初戦の千葉戦に勝利してチームに勢いを与えた

村井は広島県の本倉健太郎に敗れたが、3勝1敗で終えた

3番の加藤裕喜/齋藤大樹は社会人としてチームを牽引した

文◎福田達 写真◎三野良介
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