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2019.03.01

あの日から8年「この街で暮らすことを、ソフトテニスをあきらめない」石巻とKEIスポーツの復興秘話【前編】

レポート by ソフテニ姉さん

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KEIスポーツのテニスコートに立つ石森さん

  仙台市から電車で40分ほど。自然豊かな海の街・石巻は、悲しみの波を乗り越え穏やかさを取り戻している。宮城県石巻市にあるソフトテニスショップ『KEIスポーツ』は、ソフトテニス界初のショップとテニスコート、スクールが一体となった施設で、全国からお客さんが訪れる。

沖縄から飛行機、新幹線、タクシー、自転車で石巻へ

 KEIスポーツ代表取締役の石森慶哉さん(42歳)は、石巻で生まれ育った。地元・宮城の国体選手として活躍し、東日本大震災前は、東北福祉大学ソフトテニス部の監督を務めていた。

「2011年3月11日は、東北福祉大の合宿で沖縄にいました。震災のニュースを見て飛行機に飛び乗り大阪へ。新幹線で東京まで行って、タクシーを乗り継ぎ仙台へ。そこから自転車をこいで3時間。石巻には13日の朝に戻りました。街はぐちゃぐちゃで、何かしなくてはと思い、実家の店の材料でひたすら炊き出しをしました」

 石森さんの実家は割烹・石もりという60年以上続く地元で愛される料亭だ。

「その年の6月に再オープンするまで、ヘドロをかき出す作業を毎日繰り返していました。店だけでなく道路も含めて。再オープンできる状態ではなかったと思うけど、震災で亡くなった方のお葬式や法事をしたいという方のために、何とかやるしかなかった」

石森さんのショップ(ウィナーテニスショップ石巻店)も流され、震災後は近所に残った酒蔵で営業していた。2012年9月撮影 写真◎井出秀人

震災後は部活もストップ。再開に奔走

『やるしかない』。石森さんからこの言葉を聞いたのは、一度や二度ではない。東北福祉大監督時代にソフトテニス・マガジンの取材で知り合ってから6年が経つが、この言葉を胸に、何度も地域の復興のために立ち上がっていた。この街で暮らすことをあきらめたくない、ソフトテニスをすることをあきらめたくない。自分がやらなければ誰がやるのか、という使命感と責任感に満ちていた。

「震災後、子どもたちの部活動がストップしていました。グラウンドやコートが流された学校もあった。1人では難しいこともあったので、復興支援で石巻に来ていたラグビーコーチの西山淳哉さん、陸上の為末大さんの関連団体と一緒に考えてもらいました。活動が新聞の全国版に大きく取り上げられたことで、石巻市が動いてくれて、まず追波川のテニスコートを直せることになった。少しずつ子どもたちの部活動も再開していきました」

 地域を元気にする、人に活気をもたらすには、スポーツがぴったりだという。

「スポーツはやっぱり良い。都会に比べてできることが少ないけど、スポーツができるところさえあれば、誰だって楽しめる。人が集まる場所になってほしい。住みたいと思える街に。その一つにソフトテニス、そしてスポーツが役に立てると思う」

 兵庫や埼玉など全国でもソフトテニスが盛んな地域には、たいてい、活気あるソフトテニス専門ショップがある。道具の相談に乗ってくれたり、学校の先生以外にアドバイスをくれたり。競技が地域に根付くには、道具を含めた大人のサポートが欠かせない。石巻はKEIスポーツの影響か、硬式テニスをプレーする人をなかなか見かけないほど、ソフトテニスが盛んな地域となっていた。

石巻の街を見つめる石森さん

ショップ、テニスコート、スクールが同じ敷地内にあるKEIスポーツ。2017年9月に新装オープンした

後編に続く

写真・文◎本山友理

本山友理Twitter(@yuritenigon43 
KEIスポーツ石森Twitter(@keisportskeiya  )