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2025.05.04

私の記憶⦿インターハイ編 第2回八木陽子/1997年京都インターハイ女子団体

京都インターハイ女子団体戦◎1997年年8月8日/京都府福知山市

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優勝を喜ぶ選手たち

『凛として』

 今から28年前の1997年とは、国内では消費税5%がスタートし、サッカー日本男子がW杯初の本大会出場を決めた年であり、海外では香港が中国に返還され、イギリスのダイアナ元皇太子妃が交通事故死をするなどした年だった。

 その年のソフトテニスのインターハイは、京都府福知山市で開催された。

 記憶に残るインハイ――とっても難しいお題で、選び難いものだった。長年、取材を続けて思うことだが、どの年のインハイにもドラマがあり、多くの魅力的な主人公たちが登場する。毎年毎年のインハイが“オンリーワン”なのだ。

 それでも選ばなくてはいけないとなったとき、悩み抜いた末に行きついたのが、ここまで取材を続けてこられた原動力ともいえる、新人時代に多くの感動や興奮を与えてくれ、「もっと掘り下げた取材を続けていきたい」と思わせてくれた選手たちや指導者の皆さん、関係者の方々……のことだった。

 そして、心よりの感謝も込めて、今回の企画『私のインハイの記憶』としてクローズアップさせてもらうのは、男子では1996年山梨インハイ、女子は翌97年の京都インハイとなった。

 1992年から95年まで4年連続で団体2位となっていた福岡の中村学園女子。92年こそ、決勝の相手は群馬女子短附だったが、その後は3年連続で広島翔洋との頂上決戦となった。 前年96年、山梨インハイで広島翔洋は4年連続12回目の団体優勝を飾っていた。同年、中村学園女子は、インハイ団体では4強入りもならず、忸怩たる思いが募ったはずだ。

 ちなみに当時、広島翔洋は93年に25年ぶり9回目のインハイ団体優勝、同個人2位(砂本葉子/石川英美)を果たすと、翌年94年インハイでは2年連続10回目の団体日本一、そして個人は同士討ち決勝となり、優勝・東尚子/石川聡子、準優勝・吉村靖恵/八谷志帆に。さらに95年には3年連続11回目のV、2年連続同士討ち決勝となり、1位に石川和美/砂本佐知子、2位に石川聡子/八谷志帆が入り、96年には4年連続12回目の全国制覇を果たす。“最強”であり続け、圧倒的な強さを見せつけていた。

 そして、迎えた97年京都インハイ。中村学園女子は、前年のハイジャパで準優勝した坂下真知子選手(/江崎真知子)や玉泉春美選手らを擁して力強く勝ち上がっていく。同個人ではインハイの前哨戦、ハイジャパで坂下/田中美里が優勝。続く、京都インハイ個人でも同ペアは頂点に立っていた。

 のちに坂下選手は日本体育大に進学し、2001年全日本選手権(皇后杯)で25年度女子ナショナルチームコーチでもある濱中(現・三浦)洋美選手とのペアで皇后賜杯を獲得。その後は鹿児島県で教員として指導者の道を歩む。また、東芝姫路に加入した玉泉選手は上嶋亜友美選手とのペアで、坂下選手が制覇した翌年の2002年に皇后杯優勝。日本代表としても玉泉/上嶋で活躍し、アジア競技大会、東アジア競技大会、アジア選手権でダブルス金などのタイトルを獲得し、日本を牽引する選手になっていく。

 そのような将来性の高い選手たちを擁して、中村学園女子は、97年京都インハイで長年の悲願でもあった日本一奪還を成し遂げた。

 特に印象的だったのは坂下選手で、豪打はもちろんのこと、相手との駆け引きのできる配球術、そしてブレのない勝負心は超高校生級で、いや大人のプレーヤーにも負けない“選手としての強さ”を持っていた。それに加え、コメントからは自信や覚悟が感じとられ、当時、記者となって数年の私はその坂下選手のオーラに圧倒されていた。
 
 坂下選手を筆頭に、取材で出会った中村学園女子の選手たちには『凛とした』空気がまとっていた。私にとって、『中村学園女子=凛とした』チームであり、選手である。その後、同校に取材に訪れた際に、彼女たちが立つコートや練習する姿を見たら、その神聖な『凛とした』空気をさらに強く感じた。そして、その『凛とした』というワードを見出しに使った際に、中村学園女子元監督であり、昨年まで城山ホテル鹿児島の監督である外薗茂氏はこう語った。

「『凛とした』って言葉、まさに、これを目指してきたんですよ。(取材を通して)そう感じとってくれたんだと思うと、本当にうれしくて」

 中村学園女子出身者は、後衛であっても前衛であっても豪打であるとともに、決してあきらめない粘りの気持ちを兼ね備え、チームにとって頼り甲斐のある存在だとずっと感じていた。さらに、日本選手権優勝とともに、日本代表として羽ばたいていく選手も多い。そのような根性と意気のある選手たちの中でも、私にとって『中村学園女子=凛とした』の構図をもっとも強く感じさせてくれたのが坂下選手だった。

 97年京都インハイ。それはのちにさらに成長していく坂下選手や玉泉選手を擁した中村学園女子が日本一を奪還し、さらに個人・団体の二冠を成し遂げた夏だった。そして、私の中で『中村学園女子=凛とした』イメージが浸透していくきっかけとなったインハイともいえた。

1997年インターハイ女子団体結果はこちら

坂下真知子

田中美里

玉泉春美

前原明子

個人戦優勝の坂下/田中と原口監督

宙に舞った外薗元監督

文◎八木陽子 写真◎BBM