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2025.05.07

【村上雄人インタビュー後編】人に愛される選手になってほしい。

ソフトテニス・マガジン2025年6月号

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昨年12月のSTリーグ優勝を終えて、前任の堀晃大監督とがっちり握手した村上新監督、丸中コーチ

前回からの続き

――入社後はいろんなタイプの人と組みました。

村上 入社して高川(経生)さんと組ませていただいて、中本と組み、2016年、林(大喜)が入社しました。ナショナルチームではなかったので、何とか林を成長させたい、ペアとしてナショナルチームに入れたいと思っていました。自分のテニス人生の分岐点というか、そこで結果を出さなければこの先も勝てないなと思っていましたから、振り返ると結果的にタイトルは獲れなかったですが一番必死でしたね。日本ランキングにより自力でナショナルチームに入れたことはうれしかったですし、ついてきてくれた林に感謝です。

――堀監督は成功しても翌年はペアを変えることも多かったです。

村上 堀さんはペアを固執せず、誰と何番に出てもというスタイルでした。当初はペアを変えるのが好きでなく、ペアとしての成熟度を高めた方が良いなと思っていました。実際にペアを変わることで必要な技術が変わります。ペアを変えることで個の能力が自然と上がっていたので、今思うとありがたいことでした。

――ペアを変えるのはいろんな意味があるのですね。全体の底上げもしているとか。

村上 2017年にちょうど社内で練習環境が変わって、午後から練習できるようになりました。それとチーム内のペアリングも大きく変わった年でした。その年に水澤さんと組むことになり、もともと僕たちは後衛で、あの時は村上/水澤でいくってなったときは正直驚きました。クロス側レシーブにくのか逆クロスレシーブにいくのかもめましたが、後衛側を譲って頂きましたね()。その年の天皇杯は初めての同士討ち決勝(丸中/長江と村上/水澤)でベテランの原/岩崎もベスト8でした。今でこそ天皇杯に3ペアがベスト8に入るというのは当たり前みたいなことですが、あの頃は快進撃だったと思います。僕自身は準優勝が2回続いていたので、3度目の正直で優勝できて本当にうれしかった。勝って泣いたのはあの時に最初で最後でしたから。本当に水澤さんにはコート内外で助けてもらいました。感謝しています。

2017年天皇杯を優勝して、胴上げされる。3度目の決勝戦だっただけに、チームメイトたちの喜びの表情が印象的だった

――チーム内ではダブルフォワードが増えて、陣形にこだわらない感じでした。

村上 2017年は3ペア(丸中/長江、原/岩崎、村上/水澤)がダブルフォワードを中心とした戦いでした。翌年にアジア競技大会が控えていたこともあり、韓国・台湾がダブルフォワード中心で戦ってくるので、堀さんの中にもその狙いがあったと思います。チーム内の練習試合ではほぼダブルフォワード同士ですが勝つためにペアで話し合い、ポイントごとで陣形を変えたりしていました。とにかく昼から練習できるようになったことやペアも全員が変わり、全員が負けたくない気持ちを持ち、テニスに対して夢中になっていた記憶があります。

――2017年、水澤さんと天皇杯を獲得後、林選手と再び組んで、その後が長江さんとのペアです。

村上 林がナショナルチーム入ってコンスタントに結果は出せましたが、個人タイトルは獲れなくて。2020年に長江さんと組んで、再び前にいきだして。ここで変わらなきゃという気持ちでした。テニスに対して、20代は感覚でしていましたが、自分の技術を言葉で説明できないといけないとか、理論的な発想を長江さんから教えていただいて、そこで成長できました。話はさかのぼりますが、そもそも入社してすぐ16歳上の高川さんと組ませていただいて、とてもとても貴重な時間でした。小学生の時からの憧れの中堀/高川でしたので。2011年の天皇杯の時の高川さんの気迫と執念は組んでいて凄まじく今でも鮮明に覚えています。日本代表エースとして長く君臨されてきた方とペアとして経験できたことは振り返ると幸せですね。また、引退される年で10回目の天皇杯を獲得させてあがたかったですね。あの時、あの頃は色々と申し訳ございませんでした()

――監督に就任してまだわずかですが、ここまでどうですか。

村上 選手時代と違うので、やるべきことはいろいろありますが、楽しいです。引退試合でもあり、監督としてのスタートが平和カップで、その時に林(佑太郎)がアキレス腱をケガするという大きなことがありましたが、林も強くなって戻ってきてくれると信じています。彼はここで変わるチャンスですので、自分としっかり向き合って完全復活してほしいですね。

――地域貢献の一環ということで、子供たちを教えることも多いと思いますが、その方面で気づかれることもありますか。

村上 実業団チームは勝つことだけではダメで、地位貢献はセットです。選手自身も教えることに責任を持つし、そういう自覚も出てきたと思います。伝えることで自分の技術の振り返りもできるので、貴重な時間でもありますね。テニスの成績、地域貢献、業務は3本の柱だと思いますし、選手にもそう伝えています。

――前々監督の藤川さん、10年間監督を務めた堀さんから引き継ぎましたが、お手本ですか。

村上 本当にお二人には感謝の気持ちでいっぱいです。自分を成長させてくださったお二人です。入社時、藤川さんには社会人としての目配り・気配りを教えて頂き、人間的に大きく向上させて頂きました。土日の練習は一緒に車で行き、社会人1年目でなれない環境の中で親身に悩みを聞いて下さったのが懐かしいです。どんな人に対してもリスペクトを持っていただいている方だなと。そういうところをモデルにしたいですね。

 堀さんは0から1にするというか、誰もやってないことを踏み込んでいく人でした。テニスに対する思いや志が熱い人で、特に主体的に取り組むことへの大切さを教えて頂きました。また、チームを盛り上げるのに秀でた方で、人前で話すこと・一芸は絶対真似できません()。次で私が13代目のNTT西日本ソフトテニス部監督になります。歴代の方々の意志を受け継ぎ、必ず次へと引き継いでいきたいですね。

――選手たちは日本代表を含めてすべてのタイトルを目指すと思いますが、どうなってほしいと思いますか。

村上 もちろん、常にトップをめざす志はずっと持ってほしいです。たとえ成績が出なくても持ち続けてほしいです。また、とにかく愛される選手になってほしいですね。人を大切にできるという面にもこだわりたい。歴代の方々がつないでくれたものを自分の色でつないでいきたいです。

むらかみ・ゆうと●198899日生まれ。愛知県出身。佐屋ジュニア(小3)→七宝中→三重高→愛知学院大→NTT西日本。168cmA型。右利き・後衛。2003年都道府県対抗全中優勝。2005年インターハイ個人優勝(/黒羽祥平)。2006年全日本高校選抜優勝。20132015年全日本社会人選手権優勝(/中本圭哉)。2017年天皇杯優勝(水澤悠太/)。2022年東京インドア優勝(/長江光一)。20112024年日本リーグ・STリーグ優勝。

文◎福田達 写真◎菅原淳、井出秀人