
私の記憶⦿インターハイ編 第3回八木陽子/1996年山梨インターハイ男子個人・団体
山梨インターハイ男子個人・団体戦◎1996年8月6~8日/山梨県石和市

100点満点の表紙
今から29年前の1996年とは、国内ではO157が猛威を振るい、海外では年末にペルーの日本大使公邸が占拠される事件があった年だった。
その年のソフトテニスのインターハイは、山梨県石和市で開催された。
男子では、前年まで5年連続で高田商業と三重による伝統校同士の団体決勝が行われていた1996年山梨インターハイ。前年の覇者・三重が2年連続5回目の優勝を成し遂げるのか、高田商業が日本一を奪還し、2年ぶり10回目の頂点に立つのか、ツートップ以外の強豪校が覇権を奪うのか……などの見どころの多い大会といえた。
そして、注目の選手としては、注目度の高い多くの選手の中でも94年全中個人チャンピオンで、前年(95年)の出雲インハイでは1年生ながら個人3位(/本田直樹)、団体準優勝メンバーにもなった高田商業の東司選手は群を抜く存在感を示していた。
鋭い打球、並外れたカバーリング力、何本でも強気に打っていける勝負心……都跡中時代からその資質の高さを評価され、どこまで伸びていくのか、大いなる期待を抱かせる選手であった。当時の高田商業を率いていた西森卓也監督はのちの著書(「西森流言葉の『選び方』『伝え方』」)でもこのように語っている。
「ジュニア時代から資質を高く買われた選手でしたが、実際に指導することになると、あらためて彼の能力の高さに驚かされました。どんなプレーでもできるのです。さらに、何か技術的なことを教えると、それをマスターする早さは群を抜いていました。一般選手も出場する全日本選手権では、ポール回しをバックハンドでやってのけた。フォアハンドでポール回しを打つ上級者はいますが、それをバックハンドで行う選手は見たことがありませんでした。高校生でも、これほどのレベルの高いプレーができることを証明してくれた選手でした」
96年インハイで個人・団体で、その東選手とペアを組んだのが抜群の運動能力を持つ渡邊彦継選手だった。渡邊選手は東選手よりも1学年上で、前シーズンは、渡邊選手よりさらに1学年上のつなぎの巧い選手とペアを組んでいた。「この経験が、渡邊選手のポイント力アップにつながったのです」と前出の西森氏。3年となった96年、渡邊選手は春先から東選手とペアを組むようになっていたが、インハイ前の前哨戦といわれるハイジャパでは、やはり粘ってつなげるタイプの同学年・青木将法選手とのペアでダブルス2位となっていた。
ネットプレーヤーの渡邊選手もまた東選手に負けず、ダイナミックなプレーが身上。持ち前の運動能力の高さで高レベルなネットプレーを軽快に披露。特に、破壊力抜群なスマッシュは圧巻だった。
名実ともに高田商業のエース、『東/渡邊』は、コートを自在に駆け回り、高校生離れしたスピード感とパワーで、超アグレッシブなテニスを展開。圧倒的な強さで個人・団体の二冠を成し遂げた。
そして、その山梨インハイを特集した96年10月号(96年8月末発売)の表紙を飾ったのが……今にも表紙から飛び出してきそうなガッツポーズをする東選手だった。これまでガッツポーズした選手の素晴らしい写真は数多くある。どれも素敵なのだ。だが、このときの東選手のガッツポーズの写真の立体感というか……それを感じるのは、東選手から放たれる躍動感が半端ないからであり……とにかく言葉では言い尽くせないくらいに“飛び出す”表紙なのだった。
「表紙は雑誌の顔だ」と新人記者の頃から聞いてきた。ソフトテニス・マガジンだけに限らないと思うが、表紙になる写真を選ぶ際には、大会の動向や選手のバックグラウンド的なこと、タイミング等々、セレクトする際にはいくつかの項目があり、最終的に候補写真の中から一番、該当号の表紙にマッチした写真を編集長が選ぶ。
躍動感あふれる東選手は、どんな場面の写真でも映える被写体だった。当時、東選手をよく撮影していたカメラマンたちが「プレー中、絶対にカメラを見ていると思う」とのことで、本人に質問したそうだ。答えはYES。トーナメント序盤は撮影されていることを意識し、カメラを見ているとか。
おそらくだが、ユーモアを交えての回答でもあったと思うし、同時に本音も散りばめた回答であったのだと思う。それでも、多くの競技、選手を撮り続けてきたカメラマンたちにとっては「あれほどいい写真が撮れるのは、カメラのレンズを見てないと撮れない」と思わせるほどの被写体だったのだ。
当時、その“飛び出す写真”を表紙に選んだS編集長は「100点満点の表紙だね」と話していた(今聞くと、およそ四半世紀も前のことなので「そんなこと言ったっけ」と言われるかもしれないが…)。また以前、前NTT西日本監督で25年度男子ナショナルチームコーチでもある堀晃大氏は『ソフトテニス・マガジンの中でもっとも印象深い表紙』として、96年山梨インハイ特集号の東選手の表紙を挙げていた。多くの人々に鮮烈な印象を与えた表紙といえた。
96年山梨インハイ、圧倒的な存在感を放った被写体・東選手と、そして東選手に負けず劣らず能力の高さを見せつけた渡邊選手の最強ペアによって、その高い技術力、そして勝利への執念を強烈に思い知らされた夏となった。
※ちなみに、翌年97年シーズンの東選手は、同級生で盟友の石川洋平選手との並行陣でハイジャパ優勝、続く京都インハイでは団体優勝、同個人では後輩の正野雄介選手と組んで、優勝した三重の花田直弥(のちに東選手とは京都市役所でチームメイトとなる)/岩瀬峰尊と準決勝でファイナルの接戦を演じた末に3位入賞。だが、翌日の団体決勝第1試合では東/正野は花田/岩瀬をG④―0で倒しリベンジを果たす。

1996年10月号表紙

東司

渡邊彦継

個人優勝も果たした

部員たちと日本一を喜ぶ