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2025.07.17

私の記憶⦿インターハイ編 第4回・松口友也/1999~2001年インターハイ男子個人・団体

熊本インターハイ男子個人・団体戦◎2001年8月1~8日/熊本県・熊本県民総合運動公園

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2000年岐阜インターハイでも1年時に引き続き個人ベスト8に入った

 高校3年の夏は熊本インターハイで、個人戦の16強をかけた試合で、小林(現ミズノ)/柴田(岡山理大附)に敗れた。全中個人2連覇を達成して東海大相模(神奈川)に進学して、1年目から個人8強、2年目は第1シードで再び8強進出していた。その2年のインターハイ後は秋の国体から高校生相手には負けなしで、直前のハイジャパも制しており、最後のインターハイは大本命だった。

「勝ちきれなかったのは確かでしたが、勝負のアヤもあって。ショックはあったかもしれませんが、次は大学で頑張ろうと。負けてもクヨクヨしなかったですね。悩むことがなかったのが自分の良い点かなと思います。悩むと抜け道がなくなり、かなりの時間が必要ですよね。考え込むことはありましたが、結論付けて前に進めばよかったので」

 団体戦は1年時、準決勝に進出して数年ぶり出場の尽誠学園と対戦している。自身は1番で四国大・監督の土井内ペアにG④-2としたが、2番で兄のペアが米子松蔭・加藤監督のペアに敗れる。さらに三番勝負では尽誠学園・森監督のペアに敗れして決勝進出を逃した。

「尽誠は走るテニスが真骨頂で、森さんがスマッシュを端から端まで何度も拾い、最後にはスマッシュを逆襲されたシーンを覚えています。『えっ、こんな人いるのか』と思いました。とにかく、あきらめずに、最後まで走った。尽誠のテニスでした」

 その尽誠学園は決勝で黒沢尻北(岩手)に敗れて準優勝に終わるが、翌2000年に団体初優勝を成し遂げている。

「インターハイはソフトテニス人生でも一番華やかな大会でした。全日本選手権をもある意味しのぐほど。どうしても相手の学校の名前も気になるかもしれませんが、名前は関係なく、自分自身のポリシーを持って、自分対相手とシンプルに考えて戦ってほしいですね。同じ高校生ですし、どんなに勝ち続けていても負けることはあります。暑いですが、熱い戦いを見せてください。と同時に、そこで終わりじゃないことも忘れないで。また次の戦いが来るのでチャレンジしてほしいし、前の課題を修正して、成長していく過程も大事ですね」

1年時のインターハイ団体戦で3位に入っていた

高校2年の岐阜インターハイで初優勝を飾った尽誠学園

【お知らせ】
松口さんの経営するLIFE BOOST株式会社はスポーツライフスタイルショップ(ラケット専門店)であるLIFE BASE(ライフベース)を7月19日(土)、神奈川県厚木市にオープンする。
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