TOPICS
プレー&コラム
2026.03.01

【INTERVIEW】若い選手たちにも知ってもらいたい。裏側でこういう人たちが支えている。①緒方貴浩さん(日本連盟医科学委員会スポーツ科学部会委員)/後編

関連キーワード:
昨年の成果を上げたアジア選手権にて

(前回からの続き)
 日本代表を分析から支える緒方さん。競技を始めた時にこれほどまでの縁があるとは思わなかったが、中学、高校、大学での取り組みからソフトテニスに対する情熱はどんどん大きくなっていく。前編に続き、後編ではをソフトテニスをプレーするきっかけから学生時代のことも聞いている。

テニスの素晴らしさを堪能

――ソフトテニスをプレーするようになったきっかけを教えてください。
「出身の熊本県では、小学校の頃から部活動があって、野球、サッカーなどの団体競技をやっていました。学校の部活動の小学生なので、一生懸命やる子もいれば、そうじゃない子もいる。そういう中で自分以外の要因で負けることはよくあるのですが、それが当時は何か嫌だったんですよね。それで中学校では個人で、自分の力で勝負したいと思っていて、ちょうどテレビで硬式テニスのマルチナ・ヒンギスが活躍しているのを見て、テニスみたいな一人で戦うスポーツをやってみたいと思い始めました。でも当時は硬式とソフトテニスの違いもよく分からなくて、中学校の部活動に入部したらソフトテニスで、しかもダブルスでした(笑)」

――最初から楽しかったのですか。
「そうですね。そんなに強い中学校ではなかったので1年生の頃から試合に使っていただいていて、早い段階で競技としての面白さは感じていました。特に大きかったのは1年生の時の天草での夏合宿です。合宿で一緒になった別の中学校に同じ1年生だった現熊本学園大監督の山崎さん(U-14コーチ)がいました。彼はジュニア出身だったのもあり、すでに上級生に混ざって普通にやっていたんです。彼らは双子でペアでめちゃくちゃ上手いし強い。それを見た瞬間から、『同じ学年の彼らに負けたくない』と思って、そこから競技にはまっていきました。あと、こっちは初心者だったので体操服で練習しているのに、彼はウェアで。『なんだこの別世界感は?!』って(笑)。これも練習のモチベーションになって頑張れたと思います」

――映像で見たシングルスではなかったですが、奥深い競技にはまっていくわけですか。
「そうですね。シングルスはずっと好きなんですが、ダブルスはやればやるほど面白さがあるというのが分かってきました。もちろんダブルスは自分以外の要因で勝敗が決まることもありますが、でもその一方で自分が相手を崩すきっかけを作ったり、逆に苦しい場面で助けてもらったりして、二人で勝つ面白さがある。そこに気づいてから、ダブルスの奥深さもどんどん好きになっていったと思います」

――高校でも続けるとなるわけですね。
「はい。でも中学生の頃は身体が小さくて、むしろこの身体を生かして勝負したいと思っていたんです。乗馬もしていて、騎手という道も考えるようになって、日本中央競馬会(JRA)競馬学校を受験しました。ただ、あっけなく不合格で。そこで気持ちを切り替えて強い高校でソフトテニスを続けるぞと思って、済々黌に進学しました。そのタイミングで、ちょうど熊本中央女子高で全国優勝を経験された安達先生が定年退職されて、母校の外部コーチとして戻って来られると聞き、そこでやりたいと思って受験しました。1年生の時は地元インターハイだったので団体戦に熊本県から2校出場でき、2位で濟々黌が出場できました。本戦では1回戦を突破しましたが、2回戦で負けました。2年生の茨城インターハイ予選では熊本工業が圧倒的に強いと言われていたんですが、決勝戦で勝って2年連続で出場しました。本戦では初戦で大学で同期になる三善くんに負けました。3年生の時は決勝戦で私が負けて出場できませんでした。個人戦は3年間とも出場できなかったです」

――大学でも体育会ですか。
「はい、大学でも体育会で続けました。高校3年生の時に、早稲田大の自己推薦を受験しましたが不合格で、翌年、一般受験で入学しました。早稲田大は2部から1部に戻ってきていて、これからという時でした。在学中は、2年時に、インカレ準優勝、3年時にインカレ優勝、自分たちの代である4年の時に連覇しました」

――どういうメンバーでしたか。
「入学した時は、園田(貴祥)、毛利(伸治)ペアという3年生・4年生のエースペアがいて、2年生に鬼頭(貴之)先輩、堺(満)先輩という世代でもトップクラスの後衛がいるなど戦力は充実していたと思います。そこにインターハイチャンピオンの塩嵜弘騎、インターハイ16の友村(三善光伸)が入ってきて前衛、後衛ともに戦力が充実し始めました。また、翌年に長江光一が入学、その次の年に鹿島鉄平、さらに次の年に中本圭哉、泉山翔太が入ってきました」

――メンバーは充実していますね。
「そうですね。先ほど挙げた選手以外にも上手い選手が多くて、ひとつの時代を築いたと思います。
 よく指導していただいたのは園田先輩です。先輩は熊本工業出身で年齢は一つ上。高校時代から強い姿を見ていいたので憧れがありました。そもそも早稲田を目指すきっかけになった人でもあって、その方と一緒に活動できたのは本当に楽しい思い出です。
 それと同時に、いわゆる悪しき伝統が変わっていくターニングポイントの時期でもありました。園田先輩の代で主務を務められた江刺先輩が本当に敏腕で、形骸化して時代に合わなくなっていたしきたりを整理して、部員がプレーしやすい環境を整えてくれました。私が2年生時のインカレが岩手県北上市開催だった時には、江刺先輩が陸前高田市出身で、ご実家がお寺ということもあって、インカレ直前合宿を丸ごと支援していただきました。大きな仏像のあるお堂の中で合宿したのもよく覚えています」

――選手も個性的な方が多く、いろんな思いを持った人たちの歩みがチームを大きくしていったのですね。
「まさにそうだと思います。3年生の時の長野インカレは、戦力的にも充実していて、この年を逃したらしばらく取れないと言われるくらいでした。そこでしっかり勝てたのは大きかったですね。でも翌年になると優秀な後衛が皆抜けたこともあり、谷間の世代と言われていました。それでもみんなソフトテニスが好きで、とにかく練習はめちゃくちゃしました。特にキャプテンの塩嵜が一番うまいし、一番練習する。あれを見ると、やるしかないとなるんです。そういう空気の中でしたが、新戦力の加入もありインカレを連覇できたのは本当に大きな思い出です」

代表を裏側から全力で支える

――大学後は研究者の道に進もうと思われたのですか。
「当時は、研究者というよりも、まだソフトテニスを続けたい気持ちの方が強かったです。大学4年のインカレダブルスで3位になったんですが、当時は競技は大学で一区切りにしようと思っていました。インカレ直後の国体ブロック予選で地元に帰った時、周りからは「良かったね、おめでとう」と言ってもらえたんですが、一人だけ「残念だったね」とおっしゃる方がいたんです。世界選手権の歴代チャンピオンの平山隆久先生でした。最初は驚きましたが、『まだ上がある』と見てくださっているんだと勝手に解釈して(笑)、もう少し上を目指して続けてみようと思うきっかけになりました。一方で、ちょうど卒業研究をきっかけに、井田先生とつながりができたんです。私のゼミの指導教員が福林(徹)先生で、膝の専門医であり、日本ソフトテニス連盟の医科学委員の方でした。また福林先生は井田先生と同じ東大ソフトテニス部出身ということもあって、紹介していただきました。そこで将来の話をした時に、『研究を続けたらどうだ』と言っていただいて、研究という選択肢ができました。大学院で所定単位を修得して修士課程を修了すると教員免許が専修免許になりますし、両親とも相談した上で、早稲田大学大学院(スポーツ科学)に進学しました。卒業後も早稲田大学軟式庭球部の学生たちと一緒に活動でき、1年目には三善くんとペアを組んで全日本社会人選手権で3位にもなりました。そんな流れの中で、井田先生から博士課程に進むことも助言いただき、だんだん研究の道に舵を切っていったという感じです。その後、日本連盟の医科学委員にも推薦していただいて、今につながっています」

――研究されてきたことはソフトテニス関連のことが主ですか。
「はい、対象としてはソフトテニスが中心です。大学の卒業研究はソフトテニスのパフォーマンスと股関節可動域との関連でした。その後は、井田先生が動作分析を専門にされていたこともあって、動作分析の視点を取り入れながら研究していきました。さらに井田先生とのつながりからスポーツ心理を専門とされる、当時の東京工業大学(現・東京科学大学)の石井源信先生の研究室の勉強会に参加していました。その中で、スポーツ心理学、特に知覚・認知という領域に興味が出て、そちらを中心に据えて研究するようになりました。もちろん対象はソフトテニスやテニスです。簡単に言うと、相手の打球までのスイング動作などを見て、ボールが左に来るか右に来るかを予測する、といった研究をしています。良いパフォーマンスというのは、上手に身体を動かす運動スキルだけでなく、相手を正しく観察して情報を取り、そこから素早く正確に判断する知覚・認知スキルも重要です。これは今も続けています。今はそれに加えて、コーチングやデータ分析など、スポーツ科学の枠内で幅広く活動しています」

――今言われた知覚認知という方面はテニスの分析に役立ちそうです。
「そうですね。かなり役立つと思います。競技を見ていても『相手が何を手がかりに判断しているか』『どの瞬間に情報を取っているか』みたいなところに、どうしても関心が向きやすいんですよね。その延長で言うと、相手を読むという話だけではなくて、味方同士の意思決定や連携にもそのまま当てはまると思っています。例えば今は、アジア競技大会に向けてミックスダブルスの強化が課題の一つなんですが、ペア間のコミュニケーションがまだ十分に噛み合っていない可能性があります。以前、分析を担当されていた工藤敏巳先生(故人)が、選手にマイクをつけて、音声を集めて、『実際にどんなコミュニケーションが起きているのか』を可視化したことがあります。今回もそれを試してみようか、という話になっています。こういうところはまさに、心理学やスポーツ心理学の視点が分析のテーマそのものに影響している部分だと思います」

――これからナショナル合宿が始まり、予測ができないですが、楽しみの方が大きいですか。
「不確定な部分はありますけど、今は楽しみの方が大きいです。今回、男女のナショナルスタッフ陣でミックスダブルスの勉強会を2回やったんですが、方向性が見えてきた、と言う意味ではすごく前向きです。これまではミックスダブルスといえば男子がめちゃくちゃ動いて、女子を牽引するイメージが強かったと思うんですが、今回は新しいスタイルを確立しようとしています。男女とも攻撃力を上げて、ペアとしての得点パターンを増やしていきたい。そういう挑戦ができるのは、素直にワクワクしますね」

――名古屋のアジア大会は国際大会として10年ぶりの日本開催ですし、どんな大会になるのか楽しみしかないです。
「10年前の日本開催のアジア選手権を経験した内本、上松、丸山といった選手が今、主力としてチームを引っ張っています。そう言う意味でも、すごく物語のある大会になると思います。同時に、今のアンダー世代の選手たちがその次の代表として伸びていくのも楽しみです。少しずつ世代交代が必要という面もありますし、そこを含めて強化していかなきゃいけない。私自身も、チームが前に進むために、働いて働いて働いていきます。選手が思い切って挑戦できるように、裏側から全力で支えます。名古屋での日本の姿に期待していただけたらうれしいです」

大学3年時にインカレ団体を19年ぶりに優勝、4年時には連覇を達成した

PROFILE
おがた・たかひろ●1985年9月10日生まれ。熊本県出身。右利き・後衛。東野中→済々黌高→早稲田大→早稲田大大学院。帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科助教。帝京大学体育局ソフトテニス部監督。日本ソフトテニス研究会事務局長。

 

文◎福田達 写真◎夏川千鶴