
HINTS for soft-tennis】勝利への道 vol.3-2@堀晃大(NTT西日本前監督)学び続ける姿勢を忘れずに。

※前号からの続き
金メダルに値した選手たち
2023アジア競技大会に向かっていくNTT西日本は、まさに個の力がメキメキと強く逞しくなっていきました。お互いを信頼しリスペクトしていたので点が線にもなっていきました。自分が日本に金メダルをもたらす、シングルスもミックスも同士討ちをする、全種目金メダルという大きな目標、そして久しぶりの国際大会だったので、韓国、台湾はどういうテニスをしてくるのだろう?というドキドキも良いモチベーションになりました。
その頃は「あと10分やって帰ります」と言って1時間伸びることもしばしば。「もう今日はいいんじゃないか?」と思うほど選手たちは練習に熱中していました。アジア大会に出発する2週間前、合宿を広島(尾道)でやりました。仕上げに、日本代表とNTTの他メンバーで団体戦をしたら、代表組がものすごい勢いで圧倒したのです。その気迫を見た時に「これは勝つな」と確信しました。空港に送る時に船水颯人選手も「自信しかないです」と言っていました。「唯一の懸念は…」というのがありましたが、それは企業秘密にしておきます(笑)。
誰と組んでも、ダブルス・シングルス誰が行っても金メダルが獲れる実力を持ち合わせており、アジア大会に出場した選手たちは金メダルを獲れる選手ではなく、本当に金メダルに“値する”選手たちでした。私の思い描いた夢のチーム像が、選手の頑張り・会社の支援・応援で現実に近づいたシーズンでした。
杭州アジア大会の戦いは、言葉では表現できません。実際に現地で見た者だけしか分からない凄まじさ。最高の雰囲気とテニスを観ることができ、何とも言えない幸福感さえありました。
実は監督として、アジア大会の年を集大成、区切りにしようと思っていて家族にだけ伝えていました。杭州から帰国し「これ以上の大会はない、テニス人生で最高の試合を見た」「良いチームになった、心置きなく引き継げる」と妻には話していました。しかし、その1カ月後、また再び指導者として「最高の大会」が訪れます。
テニスのメッカ、東京有明の森で初の全日本選手権が開催されました。アジア大会金メダルの効果もあったのでしょう、会場は予想以上の観客数で選手たちのボルテージも上がりました。優勝候補筆頭は王者、船水/上松組。史上初の大会4連覇がかかる天皇杯でした。しかし、その大会で輝きを放ったのは、大ベテランの長江と広岡でした。史上最“年の差”ペア、ひと回り年が違い、長江自身9年ぶり、広岡は高卒選手として33年ぶりの優勝。広岡・長江と船水/上松の決勝戦は2G目くらいから、全選手の取り組みを思い出し、試合内容ももちろん素晴らしく、感動して泣いていました。一緒に見ていたスタッフから「泣くの早くない?」と突っ込まれていました(笑)。内本/内田も3位で、ベテランの村上/丸中も5位入賞。長江や、ひたむきにコツコツ頑張った村上、丸中に「引退して監督引き継いでくれ」なんて言えるはずもありませんでした。有明から帰宅し、「もう1年監督しようかな…」と打ち明けた時の妻の表情はご想像にお任せします(笑)。
日本代表コーチの打診
翌年の世界選手権の年、2024年を最後にしようと心に決め、アジア大会にはない種目「個人ダブルス」の金メダル・同士討ちを達成するプラス、完全制覇を目標にスタートしました。世界選手権完全制覇もとてつもない目標だったのですが、2023年のあまりもの充実ぶりに、私自身最後の年は少し気が抜けていて、ふわっとしていた面がありましたね。「選手は監督の鏡」という戒めもあるように、自分の気のゆるみが日々の取り組みに出てしまった。決して慢心はなかったのですが、前年を超える熱量と一体感を生み出せなかった責任を感じていました。国内大会はNTTで各大会優勝者が変わるという、全員がタイトルを獲れるというチームに変貌したのは選手一人ひとりの取り組みの賜物です。チーム状態が良い中で「何で辞める必要があるんだ?」と言われることもありましたが、区切りと決めていたのと自身のゆるみの責任からです。村上や丸中が大きな怪我をしたというのも引き継ぐタイミングを感じました。
監督を10年務めていく中で、シーズンごとにうれしいこと、悔しいことがあり、失敗が大きな気づきや学びを与えてくれました。やり方もぐるぐる変化していきました。しかしながら長くやりすぎると、「マンネリ化」してしまう部分も多少出てきます。オンコートでは感じませんが、オフコートでは感じることが出てきました。キャプテンは毎年変えていました。長くやらせて、ひとりに頼ってしまうようにならないためと、スポーツマンとしても社会人としてもリーダーシップを全員に構築したかったからです。引っかかったのは、監督に依存するのは組織の崩壊を招くという点です。栗山監督や平尾さんの言葉も紹介した通り、個々が強く逞しく「随所に主となれば立処皆真なり」という志がなければいけません。頼りにされることは人としてうれしいことではありました。と同時に、「私が作り上げてきたチームだ」とまでは言いませんが、「私がチームをコントロールできる」いう邪な気持ちが、少しだけ出てきました。
「これができたらいいなぁ。こうしてほしいなぁ」は良いのですが、「こうあるべき、こうするべき」という、“べきべき論”的思考は、指導者として大変危険です。わずかな邪念が芽生え、一度テニス界から離れて、コーチ学を勉強しなおそうと思っていました。
そんな中、同級生の篠原秀典日本代表監督が「強い日本を創るために一緒にやらないか?」と声をかけてくれました。NTT西日本は信頼する後輩たちに託し、何の未練もありませんでした。しかし、「勝ち続ける“最強日本”を見てみたい」という想いは心の何処かにありました。自分が少しでも力になれたら、という思いで代表コーチを受諾しました。コーチを引き受けると伝えた時の妻の顔はご想像にお任せします(笑)。というのは冗談で、家族も応援してくれました。
世界選手権を経て、日本が最強になっていくためには、もっともっと個の力を強くする必要性を感じました。颯人選手が去った今、リーダーシップをとれる選手を育成する。特に日本王者として君臨したが、国際大会ダブルスでは金メダルが獲れなかった上松選手は昨年から自分がチームを引っ張る!という気概が所々で見られるようになってきました。些細なことですが、試合中のペアへの声掛けなど、オフ・ザ・ボール時を充実させ、隙を見せない姿勢、取り組みが重要になってきます。それを理解してもらうために歴史を遡ると面白いことが浮かび上がってきます。監督経験から学んだこと、現役時代にレジェンドである中堀/高川組、北本/斎藤組を見て学んだこと、「温故知新」という言葉は大好きですが、新たな歴史語る者、創る者は過去を知らなければいけません。
10年の功績や取り組みを沢山の方々に褒めていただきましたが、絶対に謙虚さ、素直さを忘れてはならないと思っています。「たかが監督」決して高貴ではない、同じ人間なのです。家族やファンの支えと、選手一人ひとりの頑張り、NTT西日本の皆さんの支援・応援のお陰様で今があります。自惚れず、実績やこれまでのやり方に満足せず、学び続ける。
今度は日本代表で新たな挑戦のはじまりです。

2023年アジア大会団体金のNTT勢
PROFILE
ほり・こうだい/1983年8月29日生まれ。長崎県出身。後衛。精道三川台中でソフトテニスを始める。島原商業高→日本大→NTT西日本。08年ナショナルチーム。2015年1月にNTT西日本監督に就任。2025年3月の退任まで、日本リーグ12連覇、STリーグ2連覇を達成。2025年度から男子日本代表コーチに就任。