【HOT INTERVIEW】唯一無二なプロ選手◎松本崇志はシングルスに夢を賭けて。
ソフトテニスのプロ活動は船水颯人選手のプロ宣言以来、いろいろな選手たちの興味を刺激して、立ち上がったことも記憶にある。コロナ禍以降、教員を辞めてまでプロ選手とした活動してきた松本さんは記憶にあるが、シングルスだけに特化した人だとは知らなかった。そのために上京して、硬式テニスに学び、いろいろな成果を挙げてきた。現在も子供たちを教えているそうだが、この人が教えるなら子供たちも習得したいと思うのではないか。そんな人物像である。
――プロ選手になられてからの経緯から教えてください。
「2021年3月、ソフトテニスのプロ選手になるために高校の教員を辞めました。その後からテニス仲間とシェアハウスに住んで、6月にプロとなりました。地元長崎で練習しながら遠征に出ていくサイクルで。ダブルスは長崎大の学生と組んで試合に出ていました。社会人の大会の場合はレペゼン長崎の選手と組むこともありました。東京に来たのは1年前からです。勝てない時期が続いていて、環境を変えてみようと思い、こちらに来ました」
――誰かつながりがあったからの東京ですか。
「帝京大の緒方先生とつながりがあったので、練習拠点とさせていただきました。私はシングルスに特化して、そこで勝負したいと思ってプロになっていたので、硬式テニスのフットワーク、フィジカルなどに学べると思い、イベント型の強化合宿に参加したことがありました。それはフィジカル面を見つめ直す良い機会だったのですが、指導者と施設が素晴らしく、より強くなれると感じて、こちら(TPP)に通うようになりました」
――どういう変化がありましたか。
「今まで、筋トレはしていたのですが、それをテニスにつなげることができていなかった。ここに来てからは、これまで取れなかった遠いボールを明らかに取れるようになったとか、オープンスタンスでも角度のついたボールを打てるようになったなとか、目に見える成果がありました。こちらの佐久間コーチとパーソナルでやる時もあれば、硬式テニスと合同練習はしてきました」

佐久間コーチ(TPP)との二人三脚のトレーニングで勝利を目指す
――シングルスに特化ということですが、国内には全日本シングルス他、あまり大会がありません。向上するための経験を得にくいのではないですか。
「実戦回数が少ないのはありますね。そういう悩みはあったので、海外の大会に行ったことはあります。最近だと、ドイツオープン、コリアカップ、スンチャンオープンなどです。ポーランドでは船水颯人君が出ていました。海外ではたくさん試合ができたというのが現状です」
――海外の試合で感じたことはありますか。
「単純に腕の長さ、身体のサイズ、ボールの速さなどが違うので、想定外のところからボールが来るのを感じました。また、海外は硬式テニスを経験しているケースが多いので、バックハンドに苦手意識がないですね。そこは穴がないなと思いました。日本代表が圧倒的すぎて強くは見えないのですが、実際にはすごい選手がいることもありました。レベルの高さも感じたことはあります。
あとは、ヨーロッパ選手権に出場したことがありますが、12カ国ぐらいが参加していて、結構多くの国でソフトテニスをやっているんだと思いました。それぞれの人口は多くないですが、硬式テニスもやりながらソフトテニスをするし、ピックルボールもというのが関わり方でしたね」
――今年は海外で何大会ぐらい出場してきたのですか。
「前半3大会、コリアカップ、スンチャンオープン、ポーランドカップ、後半2大会はドイツオープン、ヨーロッパ選手権です。前半はまったく勝てなくて、海外生活を含めてテニスがうまくいかず、振り返ると良い経験でした。韓国では2週間ホテル暮らしで、熱い時期でクーラーがなくという…。環境面で日本との違いを感じたのはありました。ヨーロッパで苦労したのは食事面で、体調には気を使いました。」
――ダブルスの大会には出場しないのですか。
「海外でペアがいれば出場することもありますが、国内では誘われて平和カップなどだけで、基本的にはシングルスだけです」
――珍しい存在ではないですか。
「シングルスが好きで、得意だったのと、ダブルスはペアの問題があり、上位の選手たちが強すぎるので、シングルスに力を入れて、全日本シングルスを目指すのが、現状ではいいのかなと思います。生き残るためにそうなりました」

全日本シングルスを目標に日々研鑽を積む
――スポンサー契約もされているというのですが、経緯を教えてください。
「テニス関連の会社ではないのですが、地元長崎でソフトテニスをやられてきた方の会社(Smash X株式会社)で応援していただいています。活動開始時から支援していただいていているので4年目になり、もう一社、ツクルアジア(株)さんは昨年から海外遠征に対するスポンサーをいただいています。きっかけは社長さんがソフトテニスのことをつぶやいていたので、ご飯行きましょうとDMして、それから仲良くなって、昨年から支援していただいています。今年の海外遠征も助かっています」
――そこはプロ向きですね。今年のドイツオープンでプロ活動は止めると聞いていましたが、も
う1年やられることに。
「ユーチューブで止めると言ったのですが、それは海外遠征でボコボコにやられて、活動もここまでかなと感じたのと経済面からです。現在選手と同時に指導もしていて生徒さんがいるので、そちら方面で極めていこうと考えていました。これまでの経験から還元していきたいという思いからです。
そのため一度長崎に帰って、スポンサーさんに挨拶した時に、自分は結果出せないと意味がないというタイプなのですが、先方からは、『頑張っているところを評価しているから、そこは気にしなくていい。常に挑戦しているチャレンジングな姿勢、そのストーリー性を応援している』と言っていただいて、肩の荷が下りた感じがあり、もう1年全日本シングルスに向けて頑張ろうと思えました」
――まずは来年の予選が大きな試合になりますね。
「実は、所属は三重県にあって、元々、講習会をきっかけにつながりが出た方がいて、三重県の所属になったのが始まりだったので、今も三重になっています。来年2月の長崎県予選、3月の三重シングルスで権利を取れるかどうか。そこが勝負です。今年は予選で負けてしまい出場できなかったので、選択肢が海外遠征しかなかったわけです」
――プロ生活を振り返って、一番感じることは何ですか。
「スポーツのトップ選手て、本当にすごいんだなと思いますね。NTT西日本で上松選手、船水颯人選手と話した時、練習した時に、やればやるほど、どれだけ壁があるんだろうと痛感します。競技人口が多いので、一人を倒しても、また次に新しい選手が出てくる。あとは、学生が強くなってきたのと、プレースタイルの変化も感じます」
――ご自身のプレースタイルに変化はありますか。
「昔は線が細かったのですが、今はフィジカルを押していくような、ボールの質で押して、ツイストなどを使いながら戦うタイプですね」

フィジカルの向上で強さに磨きをかける
――トレーニングを大切にしてきた結果ですか。
「唯一、フィジカル面だけは多くの選手がめちゃくちゃしているわけではないので、そこはこだわりました。ソフトテニス界で、フィジカルの強さを競技に落とし込んでくれるコーチがそこまで多くないのが現状だと思いますし、そこは硬式テニスから学ぶことが多かったです」
――近い将来、子供たちに教えることが中心になると思いますが、そこにはやってきたことが生
きてきます。
「自分がそのはしりになればと。元々教員になったのも教えることが好きだったこともあるので、いかに理解してもらい、成長してもらえるか。そこは大切にしていきたいです」

PROFILE
まつもと・たかし
1995年6月14日生まれ。174㎝。西海あおぞらジュニア(10歳)→西彼中→長崎工業高→長崎大
。レペゼン長崎。大学卒業後は工業高校の機械科の教員に。九州シングルス準優勝、全日本ク
ラブ選手権準優勝。ドイツオープンシングルス、ダブルス優勝。
























