【INTERVIEW】長く続けることは、勝つことよりも大切で難しい。
ソフトテニス・マガジン3月号/巻末インタビュー
1月10日、立教大のテニスコートで東京六大学マスターズリーグ戦が行われた。開催16回目となる団体戦だが、この日を待ち望んだ人が多い印象だった。中には1年に1回のソフトテニスの日という人もいるが、多くの人たちは日頃から競技を楽しんでいるのが試合を見れば伝わる。
一際大きな身体で、ネット前に立ちはだかる人がいた。186cm、現在シニア55でプレーしていて、かつては西日本シニア45で優勝経験もある川本修司さん。慶應大のOBOGチームのメンバーである。
小学校時代は島根県で盛んなバスケットボールをプレー。身体能力に加えて、身長が高かったこともあって、6年時はキャプテンとしてチームを牽引した。しかし、試合中の大ケガに見舞われて、中学では親から「接触するスポーツをやめなさい」と言われたことで、その中でも屋外スポーツの軟式テニスを選んだ。
中学時代は県大会優勝、高校時代は地元島根国体代表と、前衛として兼ね備えた運動能力を発揮し、慶應義塾大進学後もプレーを続けた。コートでは存在感があり、相手も攻めにくかったのだろう。ただ、2年後輩の方によると、毎日居残りの自主練を欠かさなかった選手だったという。
「このスポーツをする中では身体が大きいですが、どうしても弱点となるボディ周辺を攻められるので、それを克服するような至近距離でのアタック止めなどの練習を繰り返してやっていました。いちばん練習した時期ですね」
卒業後、広島県に本社がある中国電力に入社。同県にはNTT西日本という大きな存在もある中、8歳下でライバル早稲田大卒の社内の人とペアを組んだ。
「入社後、広島県を中心に東京、中国地方とこれまで12回転勤したのですが、必ずしもその土地にテニスができる環境があるとは限りません。時には毎週の練習のために3 時間以上車を走らせたこともあるので、長く続けることは勝つことよりも大切で、一番難しいことだと思いますね。ペアも色々な人と組みましたが、世代が上がるにつれペアを固定した方が上を目指す目標を持ちやすいので、今では同じ社内で遠距離の人と組んで大きな大会には出場しています。中国大会などにも出場を続けており、そこで対戦する知人が各地にいるので、初めての土地に転勤した際は、知人を頼りながら練習を続けてきました。特に広島県内は各地でソフトテニスが盛んで、練習や試合環境が素晴らしいと感じています」
転勤の多さに加えて、多忙なため、疲れが取れないことに悩んだことも。「それでも試合に行くのか」と家族に言われるほどだった。そんなあるとき、三重県で開催された西日本シニア45出場のために、通常のように前日夜に車で現地入りするのではなく、新幹線で移動してみると、思いのほかコンディションがよく優勝できた。なので、身近なところに勝つためのいろんなヒントが潜んでいるというのも感じたという。
全日本シニアは50、55、60、65、70の部というように80まで5歳刻みでクラス分けされている。過去には45、55のクラスしかない時代もあった。
「以前の制度だと年齢を重ねるにつれて、若い選手に勝てなくなっていきます。でも、シニアの競技人口が増えて、年齢層が上がってきたこともあり、生涯競技スポーツとして続けられる制度作りを日本連盟さんが考えて、現在のクラス分けができたのだと思います。だから、年齢が上がっても次の目標ができていきます。私はもう辞め方がわからないので続けている感じですが、クラス分けは競技を続ける上での魅力の一つですね」
中学で競技に出合ってから、社会人さらにシニアになってからも競技を続けていて、現在感じる競技の魅力は何だろうか。
「ペアリングから生まれるものでしょう。お互いの短所を補い合い長所を活かし合う。ここがダブルスの良さでもあります。1+1が2.5とか3になるのが、ソフトテニスの醍醐味でしょうね。もちろん、相手によっても違ってきます。相手の力量を見極めながら長所をつぶして短所を攻めていく。培ってきたいろいろな戦術もあるので、ペアと話し合いながら効果的に活用していく。そこは面白い部分だと思います」
学生時代は体力任せだったが、社会人で練習量がぐっと減り、筋力も落ちていく中、いかにして試合に勝つかを考えるのが中心になっていく。
「週末にいろんな大会に出て、試合勘を養うのも大事。体力と技術を何とか維持しながら対戦を重ねることで、駆け引きとかが磨かれてきたのかなと思います」
テニスに引退はないのだが、続けてきたからこそ分かる競技の楽しさ、素晴らしさをあらためて教えてもらった。
PROFILE
川本修司
中国電力㈱執行役員、島根支社長
かわもと・しゅうじ/1965年8月9日生まれ。島根県出身。松江北高→慶応→中国電力
※お詫びと訂正
ソフトテニス・マガジン3月号P1141段目11行目、全日本社会人45とあるのは西日本シニア45の間違いでした。ここにお詫びして訂正いたします。

























