TOPICS
プレー&コラム
2017.10.12

泣き虫だったので叱られると「やめた」となるタイプ。スパルタで習っていたら、いまの僕はなかった

【WEB連載】船水颯人『JKTへの道』#29 小学生時代の取り組み

関連キーワード:

ソフトテニスで世界一になるため、日夜、自己研鑽を惜しまない船水颯人。昨年まで男子日本代表を率いた斎藤広宣氏(現女子代表監督)も船水颯人のソフトテニスへの取り組みに対して賛辞を惜しまない。小学生から今に至るまで、どんな指導を受け、自分でやる力を育んできたのか。

ソフトテニスマガジン・ポータルでは、船水颯人の2018年ジャカルタ(JKT)アジア競技大会に向けた取り組みをインタビュー連載で追っていく。船水颯人『JKTへの道』第29回は小学生時代の取り組みについて。

船水颯人/ふねみず・はやと 1997年1月24日生まれ、20歳。青森県出身。身長170㎝、右利き、後衛。黒石烏城クラブ(小1)→黒石中→東北高→早稲田大3年

瞬発力はあったけど持久系が苦手で

――この連載でも話してくれていますが、昔から「ソフトテニス一筋ではなかった」と。小学生の頃は、ほかにどのようなスポーツを楽しんだのですか。

小学校1、2年の頃はソフトテニスと並行し、サッカーもしていました。少年団に入っていたんです。朝にサッカーをして、昼からソフトテニスということもありましたね。ただ、試合は出場できませんでした。ソフトテニスの試合と日程が重なっていたんです。

――サッカーの腕前はどうでしたか。

普通にできたと思いますが、ボディーコンタクトは苦手でした。相手と身体をぶつけるのが怖くて(笑)。背が小さかったので。クラスで身長順に並ぶと、前から1、2番目くらいでした。6年生くらいまでずっとそう。

――足は速かったのですか。

そこそこ速かったです。瞬発力はあったと思います。ただ、長距離走が嫌いで、ずっとダメでしたね。体力がなかったんだと思います。それでも、本格的にトレーニングを積むようになり、体力は付いてきましたし、いまは問題ありません。

――サッカー以外には、どのようなスポーツをしましたか。

小学4年のときに野球チームに入り、ポジションはセカンドを守っていました。試合に出場できそうだったのですが、ソフトテニスの試合と重なり、これも断念。野球をしたのは、わずか半年でしたね(笑)。なぜ、始めたかって? 野球もサッカーも始めた動機は単純です。友達が一緒にしていたから、それだけですよ(笑)。

――それでも、ソフトテニスだけはやめなかった。

小学生の頃は本気で打ち込んでいたわけではなかったのですが、家族の影響もあるんでしょうね。父、母、そして兄もやっていましたから。やめたいと思うことはなかったです。

中3までテニスでは一度も怒られたことがなかった

――以前、「英才教育は受けていない」と話していましたが、小学1、2年生の頃はどのような練習をしていたのですか。

練習という練習ではなかったです。父親が勤める高校で、仕事が終わるのを待ちながら校舎の壁に向かってボールを打っていました。ひたすらポンポンと。壁打ちですね。クラブにも入っていましたが、練習は週1回だけですから。徹底して教えられたということはなかったです。

――何が楽しくて、続けていたのですか。

一度も怒られたことがなかったんです。僕の場合、中学3年生までテニスをしていて、怒られたことがなくて。伸び伸びとしていました。自由でわいわいとして、楽しかったですね。きっと「ああしろ、こうしろ」と強制されていれば、続かなかったと思います。

――基礎練習などはしましたか。

それもなかったです(笑)。小学生の頃は一本打ちもしたことがなくて……。それでも、当時のコーチには感謝しています。コーディネーション系のトレーニングが多かったので、運動能力が上がったと思います。

――具体的にどんな練習をしていたのですか。

風船を打ったり、ネット下にボールを転がして打ったり、いろいろと身体を動かす練習が多かったです。ラダーを使ったトレーニングもよくしました。2時間練習の半分は、コーディネーション系でした。バドミントンの足の使い方をマネたり、他競技の練習も取り入れていました。雰囲気も良くて、遊びの延長みたいな感じです。コーチとよく話しながら、練習していたのを覚えています。

――風船を打つのは子どもが喜びそうですね。

面白かったですよ。風船が落ちてくるタイミングを計らないと、うまく打てないんです。いま思えば、あれで空間認知能力などが付いたのかもしれません。2人組、4人組で互いに打ち合い、ある一定の回数をこなした組から座っていくというルールだったと思います。

――小学生時代に苦手だったことはないのですか。

うーん。低学年の頃からコーディネーショントレーニングをしたおかげか、身体はうまく動かせていましたし、運動ができなかったという記憶はないです。ただ、怒られることは苦手でした。泣き虫だったので(笑)。叱られると、「もう面白くないよ。やめた、やめた」となるタイプでした。わがままっ子ではありませんよ(笑)。

きっと、スパルタでソフトテニスを習っていたら、いまの僕はなかったと思います。人それぞれかもしれませんが、僕には伸び伸びと自由な指導が合っていたんだと思います。小学生くらいまでは、楽しくてナンボという気もしますけどね。

※次回は10月19日に公開予定

>>船水颯人『JKTへの道』バックナンバーはこちら

取材・構成◎杉園昌之 タイトル写真◎阿部卓功

注目の記事

まだデータがありません。

映画『案山子とラケット ~亜季と珠子の夏休み~』
ベースボール・マガジン社
ベースボール・マガジン社
ソフトテニス・マガジンお詫びと訂正