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2021.10.11

【日本代表史・アジア競技大会編】②ようやく頂点へ。男子は2006年のドーハで悲願のアジア競技大会金メダル獲得!

日本代表史Part1:アジア競技大会②

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念願のアジア競技大会団体の金メダル

 1990年のアジア競技大会(北京)で公開競技として採用され、1994年広島から正式種目となったソフトテニス。五輪以外で最高の大会で戦うことになったが、男子は団体優勝ができない。韓国、台湾が立ちはだかったのだ。特に韓国のこの大会への思い入れはすさまじく、団体、個人ともに多くの金メダルを持ち帰った。

 2006年を率いたのは北本英幸監督、齋藤広宣コーチ。ともに1990年代を支えた代表選手でもある。選手は激しい代表予選会を制した花田直弥、川村達郎(主将)、代表の顔でもある中堀成生、高川経生、そしてシングルスで起用される篠原秀典だった。中堀はこの年、35歳を迎えていた。

 2000年代に入ると台湾が力をつける。ダブルフォワードを世界で初めて導入して、日本にとっても脅威になる。もちろん、韓国もレベルが落ちたわけではなく、アジア3強の戦いは熾烈なものになっていく。

気持ちの入った花田/川村の戦いぶり

 台湾のダブルフォワード攻略が鍵を握った。予選同組で台湾と対戦した日本は中堀ペア、篠原が敗れて、2位での決勝進出が決まる。ただ、3番で登場した花田/川村は敗退がきまっていても向かっていく。重苦しいベンチのムードを振り払うかのような勝利だった。

「負けの決まっていた3番で試合を捨てずに勝ったことで、流れを作り直せた」と北本監督は振り返った。

準決勝では1番で登場して先勝した花田/川村

 準決勝の相手は前回大会で3冠を獲得した劉永東が復帰した韓国だったが、1番で起用された花田ペア、シングルスの篠原が勝利して、決勝進出を決める。そして、台湾との再戦は思わぬ展開に。再び1番で起用された花田ペアは世界タイトルを持つ李佳鴻/楊勝発にG1-⑤と敗れる。しかし、シングルスでは篠原が予選では0で敗れた王俊彦にG④-1と勝利して、メダルの行方は中堀/高川に委ねられた。

シングルスで安定感を増した篠原

 林舜武/葉佳霖との三番勝負は中堀ペアが3ゲームを先取する好発進。そこから並ばれて嫌な雰囲気も漂ったが、再び攻めた中堀ペアがG⑤―3で悲願を達成した。最後は中堀/高川に長く頼ってきた日本だが、花田/川村はその部分で役割を果たした。そして、ドーハと言えばサッカーワールドカップ予選の悲劇だったが、ソフトテニスは歓喜に変えた。

胴上げされる北本監督

女子は渡部政治監督、若梅明彦コーチに、玉泉春美、上嶋亜友美、辻美和、濱中洋美、上原絵里が戦い、銀メダルだった

写真◎井出秀人

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