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2022.07.20

【高校界の名将シリーズ】ソフトテニス発展のために尽力――教え子が振り返る西森卓也先生[奈良・高田商業]その指導者像に迫る③紙森隆弘(高田商業高前監督)

第3回◎紙森隆弘(高田商業高前監督)

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1998年の全日本選手権を優勝した紙森前監督

 2022年インターハイまであと少し。そのインターハイで優勝回数歴代1位を誇る、奈良の高田商業について、今回。振り返っていく。ここでは、2022年7月号のソフトテニス・マガジンにもご登場いただいた、高田商業の前々監督の西森卓也先生の指導者像に迫っていく。

 今回は、西森先生が後継者として託した教え子である高田商業の前監督・紙森隆弘先生。大学卒業後、和歌山県庁に就職し、全日本選手権優勝(玉井俊充/)を果たした。同県庁から、和歌山北高校で教員となり、指導者の道へ。インターハイ個人優勝にも導き、これからさらに和歌山北でチームを強化していこうというとき……。西森先生に説得され、母校・高田商業へと呼び戻された。当初、「和歌山でお世話になっていたので、和歌山で指導者として続けたかった」と話していた紙森先生。何度も断ったが、それでも西森先生は説得を繰り返した。紙森先生は故郷・奈良で指導者として、新たなスタートを切ることに。その後、紙森先生はインターハイ1大会で個人1位、2位、3位、同団体優勝や、高校3冠などに導き、高田商業はさらに偉業を成し遂げていった――。

紙森 隆弘(高田商業前監督)

西森先生と共有した時間が一番長い

 僕にとって西森先生は恩師なんですけど、やっぱり指導者になってから、一番いろいろなことを教えてもらったんじゃないのかな。変な話ですが、選手のときに比べたら、断然指導者になってからの方が、アドバイスしていただいたことが多い気がしますね。和歌山北に(教員で)行ったときから、時間をかけて指導者として教えていただいた。その印象の方が強いですね。どのタイミングで、僕を後釜にしようと思ったのかわかりませんけれど……。

 よく考えてみると、僕が一番、西森先生と一緒にいた時間が長いんですよね。西森先生とは、教員としても一緒に15年間働きました。いや高田商業に戻ってからだけではなく、和歌山北高時代、学校終わってから車で1時間強かけて、高田商業に行っていましたしね。

 年末の合同合宿のときにも朝まで話をしていたことも。尽誠学園の(前監督の)塩田先生(高田商業出身。同高時代の監督は楠先生)が、いつも「紙ちゃん、何してんの? どこに行ったかと思った」と言われて。西森先生はすぐ寝る人なのに、その西森先生と朝まで話をしていたとね。

 戦術とか練習内容を、本当によく教えてもらいました。それこそ「勝つためには、どんな練習をしたら勝てますか?」ぐらいの単純な話とかね。

 今回の研修大会(22年5月、和歌山・白浜で開催されたインターハイ予選前の大規模合宿)の開会式でも話していらっしゃった、勝つためには「単純に1本取るために考えなければならない」ということ。僕が和歌山北にいたとき、チームはそんなに強くなくて、高田商業にも全然勝てなくて。そういうときに、高田商業にずっと通わせてもらっていたんですけど、「こういう学校を勝たせるためには、何が必要ですか?」と聞いたら、そのときも「勝つためには、1本を単純に考えてやらなくちゃいけないじゃないか」とおっしゃっていましたね。

 僕、(高田商業の)選手のときは上手でもなく、目立った選手でもなかったんですよ。それこそ、大学に行って(インカレ優勝など)、社会人になって(天皇杯優勝など)、いい経験もさせてもらいましたけど。だから、西森先生の教え子の中で「高校を卒業してから一番うまくなった選手」と言われていたんです。

 ただ、僕は指導者になってから、西森先生にいろいろと教わった。自分の監督から教えてもらったというよりも、指導者の先輩からいろいろと教わったという感じですね。本当に、僕は指導者として、西森先生と塩田先生にいろいろ教えていただきましたね。

社会人2年目で、ペアの玉井とともにナショナルチーム入りしていた

高田商業の分家として、
本家を倒したいという思いでやっていた

 僕は、高田商業に帰ってきてから、この5月の研修大会をつくったんですね。今年で17回目になるんですけど。せっかくだから、ゴールデンウィークに大会をやりたいと思って。僕が主になってやってはいたんですけど、西森先生が高田商業にいたときには、お手伝いしていただいていたんですよ。西森先生は春の明日香大会を担当されていたんですけど。

 とにかく西森先生に言われたのは、準備は完璧にやれと。完璧に準備しても、絶対にトラブルがあるから。でも、ちゃんと準備をしていたら、そのトラブルにもきちんと対応できると。そういうことも教わりましたね。今、西森先生が学校にいらっしゃらなくなっても、そういうところはきちんとやらないといけないなと思っています。そういうところでも、教えを受けましたね。

 高田商業に戻ってくるときから分かっていたことなんですが。和歌山北で(指導を)やっているときから、塩田先生と仲良くさせてもらって、ふたりで「何とか高田商業を倒したい」と言っていて。僕らは高田商業の分家として、本家を倒したいという思いでやっていたんですよね。

 高田商業という本家に戻ることになって、自分の楽しみが減るというか。高田商業の伝統を守るというよりも、高田商業を倒すという楽しみがなくなったことに対して、すごく思うところもあったんです。

 西森先生には、和歌山北時代、本当にすごく教えていただいた。だけど、よく考えると、高田商業に戻ってきてからは、「本当に」教えてもらうことはなくなったかな。西森先生としては、引き継いだから、もう口を出さんとこというのがあったと思うんですね。でも、僕は相談もしましたし、話も聞いてもらいました。相談に乗ってもらうことはありましたけど、引き継いでから、西森先生から「ああせい、こうせい」は一度もなかったですね。

 和歌山北の頃と、帰ってきてからは、学ぶということが違ってきました。戻ってきてからは、対等というか、同じ目線というか。「あんなんやってみたら、こんなんやってみたら」と言われることすらなかったですね。

 だから、塩田先生や(上宮の)小牧先生とテニスの話はしてきましたけど、高田商業に戻って、西森先生とはテニスの話をするというか、そういうのはなく、もう「任せた」という感じでしたね。

 僕の場合、高校生のときの(西森先生との)エピソードはそんなにないというか……。それよりも、高田商業に戻ってずっと毎日一緒にいて。ほんまに後ろで支えてもらっただけで、いろんなことを教えてもらったり、(西森先生が)口出したりというのはなく。だけど、和歌山北で指導していた頃は、逆に本当に指導者として、いろいろな教えをいただきました。

最後に
 西森先生の教え子3人の皆さんから伺った話から、名将・西森先生のお人柄や勝負に対するこだわりなど、さまざまな側面が見えた。今回の紙森先生のお話からは、選手だけではなく、指導者も育成していることがうかがい知れた。

監督として率いた2018年インターハイは団体優勝、個人優勝、しかも決勝は同士討ちで、さらに3位にも高田商業のペアが食い込んだ

 

取材・文◎八木陽子