ナショナルチーム発足時はボール10球、ガットなし…カンボジアのソフトテニスグッズ事情
荻原雅斗のカンボジア通信【不定期連載④】
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東北高と中京大時代に三度の日本一を経験した荻原雅斗さんは、大学卒業後に単身カンボジアへ。現在はカンボジアのソフトテニスナショナルチームでヘッドコーチを務め、先のアジア大会にも参戦した。
カンボジア生活5年、ソフトテニスの海外普及に奮闘中の荻原さんを直撃する連載第4回は、カンボジアチームでソフトテニスを指導し始めたころのお話。ガットは硬式のものを代用、ボールは…。
荻原雅斗/おぎわら・まさと
1990年7月1日生まれ。岐阜県多治見市出身。Global Grow Cambodia 代表取締役社長。青年実業家。 東北高→中京大→カンボジア。ソフトテニスを12年間続け、学生時代に三度の日本一を獲得。現在はカンボジアソフトテニスナショナルチームのヘッドコーチとして活動中。また、教育(スポーツ・音楽・文化交流)という軸でさまざまなプロジェクトの構築を行っている
日本から寄付された白いボールに歓喜
ーー今回はカンボジアでソフトテニスを普及し始めたころの話を。
カンボジアソフトテニス連盟発足当初から約1年半は、駐車場のようなコートで練習していました(連載第1回)。韓国連盟による海外普及でソフトテニス用のラケットが数本あったんですが、ボールは使いすぎてツルツルになったものが10球ほど。とても満足に練習できる状況ではありませんでした。
カンボジアでは硬式テニスは人気があるのでテニス用品のショップは充実しているんです。最初の頃は硬式のガットをソフトテニスラケットに張ってプレーしていました。ポンドを下げて張って、「OK!」という感じでしたから、なんとかなっていたのだとは思います(笑)。
ーーこのボールじゃ練習にならないですよね。
ちょうどその頃、ネットで僕の活動を知ってくれた広島ソフトテニスクラブの田中和雄さんが「何かできることはないか」と連絡をくださって。相談したら田中さんが拡散してくれ、広島県の実業団チーム東洋観光や、ソフトテニスショップ・スポーツナロのナロさん、僕の地元の多治見ジュニアがソフトテニス用品を寄付してくれることになったんです。
すぐに直接カンボジアに送ってくれて。日本からカンボジアに荷物を送る時、送料は2ダースで5000円くらいかかるんですけど。カンボジアチームの選手たちは新品の白いボールをうれしそうに見ていましたね。
ーーラケットも、足りなかった?
そうなんです。ボールはある程度そろって、靴はテニスショップで買えるのですが、ソフトテニスラケットの入手が難しくて。どうしようかと考えていた時、たまたま僕の後輩がカンボジアに来る機会がありました。そこで、岐阜にある僕の実家に寄ってもらって、眠っていたラケット10本くらいを持って来てもらったんです。
グリップは靴同様テニスショップで買えるので、用品問題はこれで一段落。ガットだけはカンボジアで手に入らないので、今も、僕が日本に帰国するたびに毎回入手してきます。
ーーカンボジアにソフトテニスショップができる日がくるでしょうか。
最近はナショナルチームのコーチが子供たちやシニアなど一般の方向けにソフトテニス教室を開催しています。ナショナルチームの活動がテレビで報道される機会も多いので、カンボジアでも少しずつ興味を持っている人が増えてきている印象です。
このまま競技人口が増えれば、ソフトテニスショップができる日も遠くないかもしれませんね。
荻原雅斗のカンボジアあるある
③緊急連絡かと思ったら、ご飯の誘い…
カンボジア人から突然、電話で「今から〇〇(場所)まできてくれ」と呼び出されることがある。緊急事態かと焦って向かうと、一緒にご飯を食べよ うというお誘いの電話だった、ということがままあるそう。
★荻原さんのカンボジアでの日々をつづったブログはこちら
取材◎井口さくら 写真◎荻原雅斗氏提供