
【HINTS for soft-tennis】勝利への道 vol.2-1@堀晃大(NTT西日本前監督)選手を自立させてこそ、本当の強さに。

先月に引き続き、NTT西日本を退任された堀監督のストーリーをお届けする。在任10年間は常に栄光は手にしてきたが、平坦な道のりではなかった。特に、順調に見えた4年目以降、直面したのは選手たちが答えを欲しがっていること。自分自身で考えて、取捨選択していけばいいのは分かっていたが、それに気づかず、ハッとしたこともあった。
ちょうど監督就任4年目に、広島支店のクラブチーム扱いから本社の部として管轄が変わりました。そのおかげで昼から練習できるようになりました。それまでは夕方まで勤務をして、18時からナイター練習をしていました。
会社がソフトテニス部の地道な頑張りを認めてくれた。もちろん、たくさんの方々の理解や後押しがあってこそです。その時の選手たちの感情は「ありがとう(感謝)」だったんです。練習に来るときの表情がそうでした。今日も頑張りましょう!と活気にあふれている。感謝の気持ちがあれば、どんな練習をしても伸びる。何の練習をしても、どんな苦しい練習をしても活気があるからグングン伸びる。
その年は、村上雄人/水澤悠太、丸中大明/長江光一が天皇杯決勝を戦い、原侑輝/岩﨑圭もベスト8に入りました。当時史上最高成績で、同一チームの天皇杯同士討ち決勝は歴史上初だったと思います。女子の林田リコ/宮下こころ組の高校生67年ぶりの優勝にもっていかれましたが(笑)。全日本シングルスは長江が準優勝でしたが、西日本も社会人も同士討ち決勝で、個人ダブルス・団体戦はすべて優勝するという快挙の年でした。
この頃は日々向上心にあふれ、休憩しようか!と言っても練習がなかなか終わらない。10分休憩!と言ってようやく休憩したと思ったら、5分ぐらいで一人が課題練習を始めだす。そしてつられて次々に始めだす。時間を忘れて各自が熱中していました。日中に練習できることに感謝の気持ちがあふれているので、1分1秒をかみしめるように練習に励んでいました。部内の練習ゲームもとにかく面白かった。練習を見学に来られた方たちが、「いつもこんなに熱気があるんですか?」と驚かれるくらい、練習から本番さながらに白熱していました。ベテランが多く、それぞれが自立していて私も随分助けられました。ライバルでいうと、篠原秀典/小林幸司が熟練期、船水颯人/上松俊貴がJAPAN若手のホープで、学生陣も強かった。NTTは丸中/長江が安定した強さを誇り、水澤らベテランも好調でした。
でもライバルに勝とうとか、蹴落とそうとかではなく、とにかく強くなっている、うまくなっている日々の自分自身を楽しんでいるかのような充実した日々。『感謝』は人をこれだけ成長させてくれるんだ、とあらためて学んだ時期でした。
この時期は、全員がナショナルチームに入るんだ!タイトルを獲るんだ!と士気もだいぶ高まっていました。(前号で)先述した通り、型にはまらない練習やオーダーが定着してきました。しかし成果が出たことで、戦略も思考も『守り』に入りつつある兆しのある選手が出てきました。「うまくなるんだ!」の前に「勝たねばならない」というのが前に出てきた。
私自身も、丸中/長江、水澤/村上など組んで浅いペアが多数で、いわば未完成で大きな成果が出ていたので、選手がこれからどれだけ伸びるのかワクワクしていたと同時に、今思えば『慢心』も少なからずありました。これからも成長して勝ち続けるはずだ、と。
選手が指示待ちになっていた
ちょうどその頃に高卒の採用枠もできて、広岡宙(上宮高)が入社しました。翌年には林佑太郎(高田商業高)が来てくれました。彼らには、大学に行ったライバルたちよりも早く結果を出させてあげたい。4年以内にはナショナルチームに上げたいとも思っていました。
しかしながら、歴史的快挙の翌年頃から徐々に戦績は下降線を辿りました。なんだかしっくりこない、成果が出ない時期が続き、かなり悩み、考えました。
加えて高卒の2人に早く結果を出させたいという思いもあり、戦術や対策、練習メニューを書き記したノートは、今振り返っても10年間で、その時期が一番書き残していましたし、いろいろな練習を考え、工夫を施し、選手に課しました。しかし、それが私の大きな失敗でした。
あるOBが合宿に来てくれて、休憩時間にそのOBとコートを離れて話をしていました。休憩時間を過ぎてしまい、コートに戻ると選手たちはまだ休憩していました。「何だ、始めてないのか。じゃあこれをやろう」と言って練習は再開されたのですが、その一連を見たOBから、「なんだ、このチームはお前の指示がなかったら動かないんやなぁ」とボソッと言われました。
そう言われた瞬間に、「何と自分は間違った指導をしていたんだ!」と私の中で積もった何かが崩れる感覚が押し寄せました。勝てない時期の中で、これをやろう、あれをやろうと課したことで、自立していた中堅・ベテランには“窮屈さ”を与えていました。
若い選手たち、特に「高卒は課題設定・課題解決力に欠ける」と私自身が勝手に思い込み、若手には「どうしたら良くなると思う?」という重要な問答を置き去りにして、指示ばかりを与える指導を行ってしまっていたのです。単なる監督のエゴでした。
高卒の選手も立派な大人です。自発的に考え、気付くようなアプローチをしておけば、広岡も林も、もっと早くに結果が出たかもしれません。彼らには申し訳ない気持ちがあります。チームを離れた船水雄太や村田匠、林大喜にも「もっと違ったアプローチをしていたら…」と思い返し、フラッシュバックすることさえあります。
スポーツにおいて、『勝利』を手繰り寄せるためには、今何が起こっているのか、いち早く気付き、悪い点・良い点をなるべく早く判断し、修正・実行(決断)する力が必要となります。日々の練習でできていなければ、本番でできるはずもありません。
この時期私は、勝てない焦りと、若手に早く結果を出させたいという思いから、選手の気付きや好奇心、判断・決断を監督自ら奪い、これをやったら良くなるはずだと、「これをやろう」「こうなっているからこうしよう」と解決策や答えを先に与えてしまっていたのです。一番悩み、考えていたはずなのに、ただ指導者の自己満足で終わっていた。選手は、うまくなる自分にワクワクしていた練習がいつの間にか『義務』になっていた。チーム全体が悶々とした苦しい時期でした。
※次回に続く
PROFILE
ほり・こうだい/1983年8月29日生まれ。長崎県出身。後衛。精道三川台中でソフトテニスを始める。島原商業高→日本大→NTT西日本。08年ナショナルチーム。2015年1月にNTT西日本監督に就任。2025年3月の退任まで、日本リーグ12連覇、STリーグ2連覇を達成。2025年度から男子日本代表コーチに就任。