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2025.08.01

【HINTS for soft-tennis】勝利への道 vol.3-1@堀晃大(NTT西日本前監督)学び続ける姿勢を忘れずに。

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 コロナ禍という過去にはなかったような環境で、テニスは停滞したかもしれないが、いろいろな気づきを得た。当たり前のように思っていたことが、そうではなかった。そんな時にチームを牽引したのは大ベテランの二人。そこから、新しい血もあり、チームはどんどん進化していく。2023年アジア競技大会の大成功、そして2024年を終えてピリオドを。いや、思わぬところから代表コーチの打診があり、もう少しだけソフトテニス界に身を置くことに。

 内本が入社してきた後、コロナ禍に入りました。みんなで顔を合わせてとか、みんなで練習ができなくなり、大変な時期でした。施設が使えない日々の中で、グループに分かれてトレーニングやミーティングを重ねました。河川敷でダッシュや素振りを繰り返したり、あくる日は山の中腹の公園に「ランニングで集合!」といって、階段ダッシュやフットワーク練習を行っていました。広岡なんかは階段ダッシュを繰り返していたら苦しさのあまり嘔吐して病院に運んだこともありました。河川敷トレーニングでは休憩中、川を眺めながらある選手が「僕ら一体何やってるんでしょうね~」とポツリ漏らした時には、思わず苦笑いになり、切なくなりました。先が見えなかったので何度も不安に襲われました。私自身だけじゃなく、選手はもっともっと苦しかったと思います。

 多くのチームも同じように不安を抱えて過ごしていたと思います。いつ大会が再開できるか見通しがつかなかったので、「大会もないし頑張れない」「今頑張ってもしょうがない」という意識に向きがちだったと思います。

 しかし私は「明日、大会が再開してもいいように今日一日を頑張ろう。なんて無駄な努力なんだと思うかもしれないが、本当に大会が再開された時には絶対に他チームより差がついている。大会がない今こそ、自分を奮い立たせて、課題設定して頑張ろう」とオンラインミーティングや顔を合わせた時には常々話していました。

 特にコロナ禍にグループ分けで行ったミーティング・勉強会は、回数を重ねる毎に各選手、意義を見出すのに苦心したと思います。しかしこれが自分のテニスを見つめ直す時間、自分自身の目標や課題・やりたいことを明確にする時間になったと思います。グループで試合動画を見返して、戦略やチームとして取り組んだらよい事を整理整頓したり、個々で課題や興味があることを調べ、それを全体にプレゼンする機会も作りました。

「テニスをやる目的はなんだっけ?」と何度も確認しあい、思いを文にしたりして、気持ちを途切れさせず、燃え続けるように仕向けていきました。プレゼンをしたり、文字に起こすことで、自分自身の考えを表現する力が向上したとも思います。試合で実力を発揮するということは、自分を出し惜しみせず自身の持てるものを存分に表現することなので、コロナ禍にチームで取り組んだことが、後々活きてくることになりました。「我々は勝利者を目指すんだけれども、同時にテニスの伝導者も目指さないといけないし、立派な社会人も目指さないといけない。大好きで10年も20年も続けているソフトテニスのことを、まず伝えられたり、言葉で表現できるようにしよう。自分の思いを伝えられるというのは自分自身もレベルアップするし、コミュニケーションもコンビネーションも高まるし、指導する場面でも、仕事においても絶対に役立つから」と諭していきました。

「テニスをやる目的」を深掘りしていったときに、各選手が「自分がここにいる意味」を整理できたとも思います。

「テニスを教えてくれた親を喜ばせたい」「勝つ以前にうまくなりたい。極めたい」「みんなが驚くプレーをして感動させたい」等々、決してライバルに勝つことを意識するのではなく、自分を高め、人を喜ばせたいというのが根本にあることが明瞭化されていきました。

自分の成長に感動し、人を感動させる

 また、部の歴史を調べて整理し、先輩たちの功績などを資料にして選手たちに配りました。日本一が当たり前の今に至るまでに数々の先輩たちの頑張りや栄光、失敗や挫折、苦しい時期があったことを共有し、みんなで学びました。NTT西日本ソフトテニス部の始まりは、社員数名のレクレーションが発端だったというのも選手たちに伝えました。要するに、「社員の楽しみ、昼休みや終業後の娯楽で始まったのだ。社員の笑顔が原点。それを決して忘れてはいけない。社員を裏切るようなことはあってはならないし、私利私欲にまみれると歴史は崩れる。社員に喜んでもらえるようにコート内外でがんばろう!」

 自分の成長に感動し、人を感動させる。そんなチームをめざすんだ!というベクトル、方向性にみんなが進んでいきました。

 よく選手に「自分のためだけにやるのは二流。自分と人のためにやるのが一流」と話していましたし、苦しい自粛期間、ボールを打つ時間より考える時間が増えたことが、そのことを各自に気付かせてくれ、大会再開後の大きな原動力となりました。

 振り返ると、この時期がNTT西日本の飛躍した大きなターニングポイントでした。あそこで一気に主体性、自主性、自立、責任感がチームカルチャーとして根付いていきました。コロナ禍が個々を強くし、チームを強くした逆境をはねのけて成長した、美談っぽく感じるでしょうが、今だから言えるだけで、当時チームは相当もがき、苦しみました。

 特にコロナ2年目で、大会中止が再び決定されると、再開を期待しコツコツ努力してきた選手たちもさすがに萎えて、テンションが落ちていきました。「大会をなんとかできるように、連盟に掛けあってもらえませんか?」と泣きながら電話してくる選手さえいました。

 そんな時期に、自分自身を何とか奮い立たせたのは当時すでに30歳を超えていた村上と長江でした。若い選手たちは若さゆえに気持ちのアップダウンがかなり大きかった中、ベテランの二人はさすがでした。先が見えない中でも、いつ再開してもいいようにと身体を鍛え、技を磨き、精神を整えていました。大会再開後に安定した戦績を残したのは村上/長江組でした。実はこの頃、心ない指導者や関係者から「村上と長江はもう年齢も年齢で落ちかけだな」と揶揄されているのが私の耳に入っていたので、彼らの成長と成果が現れた時には、「二人の日々を見ていないのに批判するな!どうだ!見たか!」と胸がすく思いでした。

 一方で実戦を重ねるほど実力を伸ばしていく内本は苦しんでいました。本番の緊迫した場面になればなるほど信じられないプレーを繰り出すタイプなので、一生懸命練習していましたが、大会がないことは彼を苦しめました。若い広岡や林もその傾向がありました。本倉や内田が入社し、大会が再開しだしてからも若手は思ったような成果がすぐ出ずに、努力が馬鹿らしく思える感情、己を疑う感情があったかもしれません。

 安定した成績を出していた村上/長江と比べられ、「若手は何をしよるん!?」と厳しい視線を浴びることもあったので、内本ら若手たちはもどかしさ、悔しさがあったと思います。私も村上/長江には「背中で引っ張ってくれ」とお願いしていたのもあり、年齢差もありますし、若手とベテランには若干の壁が存在していました。

 しかしチーム全体、体つきやスタミナはライバルたちと比較しても一つ二つ抜きん出ていると感じていましたので、若手たちには「数字を追いかけるな。絶対に成果は出るから」と、当時は慰めもあったかもしれませんが、発破をかけて向上心を失わないように努めました。

まずは個を強くする

 そして、上松が入社してきました。上松も「感謝の念」にあふれていて、入社当初から熱心に練習やトレーニングに励んでくれました。上松は良い意味で図々しく、好奇心旺盛。村上や長江、丸中の年上にも、「今のどんな感じで打ってるんですか?」「グリップどんな感じで握ってますか?教えてください」と質問していました。これが他の若手にも一気に波及していきました。ベテランと若干の壁が存在していたと述べましたが、俺も先輩に聞いてみようという雰囲気が広がりました。村上や長江も若手の視線に立ってくれて、練習中も練習以外でも会話が絶えないチームになっていきました。思ったことは聞いたり、教えあったり、他の選手にも声を掛け合ったり。気持ちが滞ると「病気」のチームになってしまいますが、気持ちが合わさると「気合」の入ったチームになり、活気が出ます。互いの技術や思いを教え合う、リスペクトしあえる理想のチームに近づいていきました。

 そこにコロナ禍でコツコツやってきた筋力・瞬発力・思考トレーニングの地道な蓄えが相乗効果となり、一気にみんなのポテンシャル・潜在能力が開花していきました。強くなる自分、うまくなる自分に期待し、感動する毎日の練習は2017年の頃を彷彿とさせるものでした。

 広岡が入社した2018年に『5か年計画』として、5年後に日本代表全員をNTT西日本で占めるという強化プランを策定していました。延期もありましたが2023のアジア大会では5名中4名がNTTの選手で、全員占めるという夢は達成できませんでしたが、NTTではなかった船水颯人選手も学生時代から広島に来て一緒に練習していたので、ライバルではなく同志という感覚でした。

 余談になりますが、上松が入社するタイミングで誹謗中傷がありました。「NTTは船水・上松に勝てないもんだから、堀が上松を唆してNTTに無理やり入社させてペア解消させるらしい」という噂です。たしかに企業チームですから入社したらチーム内で組めという意見もでるかもしれない。「それでもいい?」と上松とは色々とメリット・デメリットを話しした中で入社に至りました。私自身、同志と思っていた颯人も大好きな選手でしたから、「船水/上松は日本のエースなんだから、日本のためにペアを継続しよう」と応援・理解してくれた会社の方々にもとても感謝しています。ペア継続となったらなったで、「違うチーム同士が組んでずるい。うれしいのか」という外部の意見もありました。強いチームの宿命かもしれませんが、10年やっていると沢山文句を言われることもありました。それ以上に応援してくださる方々のパワーが上回るのですが、ソフトテニスファンの野次は許容できるのですが、同じ指導者であったり、他のチームからそういった声が聞かれることは悲しく残念な気持ちにもなりました。

 話が逸れてしまいましたが、20222023年頃は上述したように充実した日々の練習で、毎日がナショナルチーム合宿のようでした。野球の栗山監督がWBCの時に、チームワークというのは「みんなで頑張ろう」ではなく、「選手一人ひとりが毎日マックス」を出せば自然とチームワークはよくなると。私が尊敬する指導者、ラグビーの平尾誠二さん(故人)もチームワークが先にくると弱い。個々を強く逞しくするのが先。点を太くしないと線は太くならない。だから日本人はチームワークが実は弱いのだと、似たようなことを述べられていました。

私にとっての堀さん
③上松俊貴
変化するきっかけをもらった。

 3年間一緒にやらせてもらって、チームに入るきっかけをいただいたのも堀さんです。ここに入ってから結果がついてくるようになりました。人間的な部分もそうですし、技術的なアクセントとか、気づきをくれるのはありがたいことでした。例えば、野球からのアドバイスなど、自分にはない発想を与えてもらいました。自分が変わろうとしている時は聞いていただき、それにスパイスをかけてくれたり、そういうプラスアルファは成長できた大きな要因でした。現在は日本代表とかトップでやらせてもらって、そのたたずまいにしても、こちらに来てから身についています。緻密に考えて、そんな言葉使いもそうで、座学でもインパクトを与えてもらいました。

 

PROFILE

ほり・こうだい/1983年8月29日生まれ。長崎県出身。後衛。精道三川台中でソフトテニスを始める。島原商業高→日本大→NTT西日本。08年ナショナルチーム。2015年1月にNTT西日本監督に就任。20253月の退任まで、日本リーグ12連覇、STリーグ2連覇を達成。2025年度から男子日本代表コーチに就任。

構成◎福田達 写真◎西田泰輔